見出し画像

「死ぬ事」がそこまで怖くなくなった話

※初めに断っておきますが、病んでいるわけでも希死念慮があるわけでも、ヤバめの宗教にハマったわけでもありません。至って健康です。


最近、昔より死ぬ事が怖くないと思えるようになったかもしれない。

そもそも何で死ぬのが怖いんだろう。
痛いから?苦しいから?

でも痛みや苦しみは死に至るまでの「過程」であって、イコール死ではない(ノットイコールでもないけど)。

だからそれらを取り除いたら、『死』そのものはただの『終わり』でしかないのではないかと思う。
眠りについたら次の日目が覚めない。それだけの事なのだ。

そういえば、ギリシャ神話の眠りの神・ヒュノプスは、死の神であるタナトスと兄弟であった。
古代のギリシャの人々は既に『死』の本質を分かっていたのかもしれない。

死は眠りの延長にあるもので、ただの命の「おしまい」。

じゃあ、「死ぬのが怖い」のは何故?

それは「この世に未練がある」からではないかなと思い至った。

自殺をしない限りは、人間はいつ死ぬか分からない。
それは、もしかしたら明日かもしれないし、100年後かもしれない。分からない。

だから突然やって来る「死」を迎えた時に、やり残した事があったり、成し遂げていない事がある事が怖いのではないか。

じゃあお墓買って、エンディングノートでも書いて、身辺整理して、いつ死んでもいいように終活しとけばいいのか、と言われるとそれも少し極端な気もする(もちろん、自分が必要だと思ったらやった方がいいのだが)。

たぶん、そんな難しい事ではなくて、「後悔しないように生きているか?」の問いに自信を持ってイエスと答えられるような日々を送れていればそれで充分なのではないだろうか。

その点で今の私は、「未練」というものが薄くなってきた。
もちろんゼロになった訳では無い。私だって人間だ。やってみたい事もまだあるし、行きたい所もある。

だが、のんびりフリーターライフを過ごしながら気ままに生きていく中で、「死ぬまでにやりたい事」というのは、あらかた消化できたように思う。まあこれから増えるかもしれないけど、とりあえず今の生活には満足している(お金は無いけど!笑)。

だから、死ぬのがそこまで怖くなくなったのかもしれない。
いや、怖いは怖いのだけれど、昔みたいに漠然とした恐怖の対象として見ないふりをするのではなく、必ずやって来る人生のイベントとして、向き合う事が出来るようになった。

*

確かに『死』は怖いものでもあるが、終わりがあるのは幸せな事でもあると思う。

私は締切がないと、勉強や仕事を頑張れないタイプなのだが、それと似ている気がする。
終わりがあるからこそ、そこに向かって頑張れる。
終わりがない仕事はとてもしんどい。

どんなに楽しい人生を送っていたとしても、どんなに苦しい人生を送っていたとしても。
どんなに良い人も、どんなに悪い奴でも、人はいつかは死ぬ。
死は人間に平等に与えられる唯一のものなのかもしれない。

「死は救済」とかヤバめの宗教が言ってたりするけど、一理あるなとも思うのだ。

だからと言って早死したいわけではないので、出来る限り健康には気を使って長生きしたいのだけれど。

でも、人生の最後に死が待っているからこそ安心もできるというか。

『死』という逃れられない絶対的な終わりがあるからこそ、そこに向けてどうやって生きるか考えることが出来るのではないか。

後悔しない生き方を掴みとりたい。


梨女(@xxnashimexx)

ありがとうございます。 ちょっといいご飯を食べたいと思います。