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【つの版】度量衡比較・貨幣85

 ドーモ、三宅つのです。度量衡比較の続きです。

 英雄フランシス・ドレークの活躍により、英国は世界帝国スペインに対して見事に渡り合います。スペインの植民地・港湾・船舶は掠奪・破壊され、本土を叩くべく到来した大艦隊も激戦の末に撃退され、スペインの覇権は揺らぐかに見えました。しかし戦争はその後も長く続き、両者は激しく疲弊することになります。

◆戦◆

◆乱◆

南征失敗

 スペイン艦隊を撃退した翌年、1589年には英国艦隊によるスペイン遠征が行われます。率いるのは英雄ドレークとジョン・ノリスで、ポルトガルの王位継承権を主張するドン・アントニオも同行しました。彼はアヴィス王家の庶子で、ハプスブルク家のスペイン王フェリペがポルトガルを併合したことに反発し、フランスや英国などを頼って反フェリペ活動を続けていました。彼をポルトガル王位につけさせれば、スペインは「太陽の沈まぬ帝国」ではなくなり、アフリカ・インド・日本に至る航路が手に入るのです。

 とはいえ英国の国庫は火の車で、8万ポンド(80億円)もの遠征費をポンとは出せません。女王エリザベスがなんとか半額負担し、オランダから1万ポンドと援軍を、残りを貴族や商人組合が出すこととなりました。英国世論は大勝利に湧いており、志願兵もあって船は180隻、兵数は2万を超えます。4月に英国艦隊はプリマスを出航し、スペインとポルトガルを目指します。

 当初の目的はスペイン艦隊の残党がいたサンタンデールでしたが、ドレークらは海上でスペイン艦隊に襲われる可能性が高いとし、まずガリシア地方の港町コルーニャを襲撃します。しかし5月4日から半月に及んだ包囲戦の末にこれを落とせず、離脱する船も現れたため、ドレークらはポルトガルへ向かいます。ところがドン・アントニオに呼応するポルトガル貴族はおらず、リスボンを攻めれば頑強な抵抗に遭い、疫病や嵐にも遭遇して、英国艦隊は這々の体で帰国するしかありませんでした。ノリスやドレークらは多少の鹵獲品(大砲150門と戦利品3万ポンド)を示し「大勝利」と言い立てますが、投資された遠征費にも満たず、ドン・アントニオはフランスへ亡命します。

英仏蘭盟

 フランスではスペインが支援するギーズ公らカトリック同盟がユグノー(プロテスタント)を弾圧していましたが、国王アンリ3世は権力奪還を図って1588年末にギーズ公を暗殺し、翌1589年8月にアンリ3世もカトリックに暗殺されます。彼はユグノーの盟主でブルボン家のナバラ王アンリを後継者に指名します(アンリ4世)が、カトリック同盟は強く反発し、アンリはパリにも入れぬ状態でした。エリザベスはアンリへの援軍を派遣しますがうまくいかず、フェリペは艦隊を再建し、フランスへ軍隊を差し向けます。

 しかしオランダ(ホラント・ゼーラント)総督マウリッツは、宿敵パルマ公率いるスペイン軍がフランスへ出兵したのを好機として反撃に転じます。1590年のブレダを皮切りにネーデルラントの都市を次々と奪還し、1592年にパルマ公がアンリ4世との戦いで戦死するとさらに勢いを増します。またアンリ4世はフランス統一のため1593年7月にカトリックに改宗し、翌年戴冠式を挙行してパリに入城すると、1595年には「内政干渉して内乱を煽った」としてスペインに宣戦布告します。1596年、オランダ・英国・フランスは対スペイン同盟を締結し、フランスはカトリックながら反スペインとしてプロテスタント諸国と手を結ぶということになったのです。

 スペインはアイルランドの反乱を煽り、各地で英国の私掠船を撃退していましたが(ドレークは1596年にパナマ沖で病死)、いかに世界帝国といえど軍事費の支出は半端なく、財政破綻を起こします。英国へ再び差し向けた艦隊は嵐によって沈没し、フェリペは1598年9月、失意のうちに71歳で崩御しました。同年4月、アンリ4世は宗教戦争を終わらせるため「ナントの勅令」を発布し、ユグノーにもカトリックとほぼ同じ権利を保証しています。

 長年に及んだカトリックとプロテスタントの宗教戦争は凄まじい破壊と混乱と殺戮を欧州にもたらしたため、これに対して「宗教よりも世俗(国家)の秩序を優先すべきである」との現実的な思想が現れます。エリザベスもアンリ4世もこれを採用し、近世的な中央集権国家を形成していきました。

 スペイン王位を継いだフェリペ3世は病弱で、国政は大臣に委ねられ、対外戦争には積極的でなくなります。エリザベスもアイルランドの反乱に手を焼き、1603年に崩御します。跡継ぎがなかったためテューダー朝は断絶しますが、遠縁のスコットランド王ジェームズ(メアリー・スチュアートの子)が英国王に招かれ、ここにイングランドとスコットランドは同君連合となりました。そして1604年、ジェームズはスペインと講和し、長きにわたる英西戦争は終わりを告げます。スペインは疲弊しつつも世界帝国として存続し、英国・オランダ・フランスはスペインによる干渉を跳ね除けたのです。

 この頃、オランダと英国はスペインによる貿易独占を打破するためアジアへ進出し、東インド会社を設立しています。イエズス会やポルトガル人が活動していた日本やチャイナにもオランダや英国の商人が出没し、カトリックの優位を脅かし始めます。また大部分がスペイン領となっていない北アメリカ大陸へも進出し、植民地を築き始めました。両国は互いに争いつつ、スペインを凌ぐ新たな海洋帝国となっていくのです。

◆彼◆

◆岸◆

【続く】

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