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【つの版】度量衡比較:貨幣編・インデックス02

 ドーモ、三宅つのです。あまりにも増えてきたのでさらにインデックスを作りました。もはや貨幣史からはみ出していますが気にしないでください。

 つのの記事はつのに属しますが、ミームが広がるのは歓迎しますので、紹介したり感想を書いたりする程度はご自由にして下さい。You Tubeとか書籍とかでつのの記事に基づく仮説を披露しても構いませんが、その場合は出典を明記して下さい。

◆大航海編

49.航海王子

 欧州西端の海運国家ポルトガルは、15世紀から海路でアフリカ大陸西岸地域への進出を開始します。

50.到喜望峰

 ポルトガルの探検は1488年にはアフリカ大陸南端に至り、ライバルのスペインはコロンブスの唱える「西廻り航路」で対抗しようとします。

51.地球分割

 1492年10月、コロンブスはスペインの出資により大西洋の彼方に陸地を発見し、翌年帰国しました。

52.印度到達

 1498年、ポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマはアフリカ南端を巡ってインド洋に出、ついにインドに到達しました。

53.大陸発見

 スペインは大西洋の彼方の探索を進めますが黄金も香辛料も手に入らず、ポルトガルは着々とインド洋へ進出します。

54.南洋戦乱

 ポルトガルは大砲を積んだ艦隊を次々とインド洋へ送り込み、沿岸諸国を武力で従わせ、遥か東のマラッカ海峡まで制圧します。

◆大征服編

55.文明遭遇

 1517-18年、スペインはキューバの西のユカタン半島に到達し、先住民の築いた都市文明を発見します。

56.中米文明

 メソアメリカには紀元前から都市文明が存在しました。

57.栄冠戦争

 15世紀に勃興したメシカ・テスココ・トラコパンの三国同盟は、各地に勢力を広げ、のちに「アステカ帝国」と呼ばれる大国となりました。

58.奴隷少女

 1519年、スペイン人エルナン・コルテスはわずかな手勢を率いてキューバから西へ向かい、先住民の文明と遭遇します。

59.帝都入城

 1519年11月、コルテスは先住民を率いてアステカ帝国の都テノチティトランに入城しました。

60.帝国滅亡

 1521年8月13日、アステカ帝国は滅亡しました。

61.地球一周

 1519年にスペインを出発したマゼランの艦隊は、パタゴニア、太平洋、フィリピンを経て香料諸島に到達し、1522年に帰還しました。

62.南米征服

 南米西部を支配していたインカ帝国は、1533年にスペイン人ピサロらによって乗っ取られ、植民地となりました。

63.皇帝借金

 ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝カール5世=スペイン国王カルロスは、フランス王フランソワと欧州を二分して戦います。

64.地球両分

 スペインはポルトガルと同盟を結び、地球を両分します。

◆日本伝道編

65.発耶蘇会

 1542年、イエズス会士フランシスコ・ザビエルはポルトガル王の依頼によりインドに向かい、ゴアに到達しました。

66.寧波之乱

 日本では室町幕府の権威が揺らいで戦国時代に突入し、明朝との貿易を巡って細川氏と大内氏がしのぎを削っていました。

67.鉄砲伝来

 1543年頃、種子島にポルトガル人が火縄銃をもたらすと、たちまち紀伊や畿内で国産化が進められました。

68.日本伝道

 1549年8月、イエズス会士ザビエルは日本の薩摩に上陸し、宣教活動を開始しました。

69.石見銀山

 ザビエルが渡来した頃、日本では灰吹法による銀の精錬が始まり、銀が海外へ輸出されていました。

70.畿内動乱

 京都の荒廃を見聞したザビエルは畿内を立ち去り、西国の周防と豊後に布教の拠点を作りました。

71.価格革命

 海外からの銀の大量流入と人口増加により、16世紀後半に欧州では「価格革命」と呼ばれる大規模なインフレが起きました。

72.永禄之変

 ザビエル没後もイエズス会の日本伝道は続き、1560年には将軍・足利義輝から畿内での伝道を許可されます。

◆信長秀吉編

73.天下布武

 1568年、尾張と美濃の大名・織田信長は、足利義昭を奉じて上洛します。

74.武田信玄

 甲斐と信濃の大大名・武田信玄は、織田信長と徳川家康を東方から脅かしました。

75.長篠合戦

 織田信長は各地を転戦し、包囲網を突き崩します。

76.本能寺変

 1582年6月、織田信長は天下統一の志半ばにして明智光秀の裏切りに遭い世を去りました。

77.山崎合戦

 中国攻めの司令官であった羽柴秀吉は、本能寺の変の報を聞くや毛利氏と和睦し、急ぎ畿内に取って返して明智光秀を撃破しました。

78.太閤検地

 秀吉は天下統一を進めつつ大規模な検地を行い、税収や軍事費の確保につとめました。

◆英西戦争編

79.洋銀到来

 スペイン王カルロスの後を継いだフェリペ2世は、太平洋の彼方のフィリピン諸島を征服し、ポルトガルを併合して世界帝国を築き上げます。

80.一条鞭法

 明朝の宰相・張居正は税制改革を行い、納税の一本化と銀納化によって、国家財政を一時的に改善しました。

81.低地諸国

 スペイン王フェリペ2世に対し、ネーデルラント諸国は英国の支援を受けて反乱を起こします。

82.悪貨駆逐

 英国女王エリザベス1世は、父の遺産である悪貨問題を解決します。

83.私掠海賊

 エリザベスは巧みに外交を行いつつ、プロテスタントや海賊を支援してスペインと渡り合います。

84.無敵艦隊

 1585年、英国とスペインは戦争に突入し、英国の海賊フランシス・ドレークは我が物顔でスペイン領を荒らし回ります。

85.英仏蘭盟

 長きにわたる英西戦争は両国を疲弊させ、ついに講和が結ばれます。

◆東印会社編

86.東洋遠征

 オランダと英国はスペイン・ポルトガル連合に対抗するため、東洋への進出を開始します。

87.西教黙認

 1587年、九州を平定した豊臣秀吉は「バテレン追放令」を出しますが、南蛮貿易の利益は捨てきれず、キリスト教の布教を黙認しました。

88.聖者殉教

 1597年、秀吉はサン=フェリペ号の漂着をきっかけとして国内のキリスト教徒26名を捕縛し、処刑しました。

89.蘭船漂着

 秀吉没後、大老筆頭となって天下を狙う徳川家康は、1600年に豊後に漂着したオランダ船リーフデ号の乗組員を引見しています。

90.朱印貿易

 家康は海外との外交関係を樹立し、朱印船による海外貿易を奨励するとともに、琉球へ島津氏を侵攻させて服属させ、明国との貿易窓口としました。

91.東印会社

 英国とオランダは各々「東インド会社」を設立し、アジアでの経済的利益を求めて争い始めます。

92.慶長禁教

 1613年以後、徳川幕府はキリスト教の布教・信仰を禁止し、この禁教令に背く者は逮捕、追放、あるいは処刑されました。

◆家康財政編

93.慶長金銀

 戦国時代後期から江戸初期までの貨幣制度を見てみましょう。

94.大蔵長安

 徳川家康の経済政策を担ったのは、武田家旧臣の大久保長安でした。

【続く】

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