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小説を素材に歴史を探る。『妊娠小説』斎藤美奈子


本書のタイトルは『妊娠小説』。日本で妊娠を描いた小説がいつ頃からどれだけあって、その内容にどんな特徴があるのかを時代ごとにまとめた本。小説を史料に「妊娠」を歴史的に考察した本といい換えてもよさそうです。

本書は明治維新から始まります。1868年といえば明治元年、そして堕胎剤販売禁止の年でもありました。堕胎剤(堕胎薬)なんて薬が日常的に売られていたということは、それだけ堕胎が日常的だったということらしく、ウィキペディアには堕胎が最も盛んだったのは江戸時代なんて記載があります。驚きました。

明治以後、望まない妊娠をした女性は「否応なく産む」か「死を覚悟でヤミ堕胎に走る」しか選択肢がない状況になってしまいました。これが、妊娠小説の黎明期です。斎藤さん曰く、小説で「妊娠」と書けば、これはすなわち「望まない妊娠」のこと。なぜなら、望んだ妊娠なら「懐妊」とか「オメデタ」と書くからだとか。なるほどの指摘です。

でも、妊娠小説が本格的に出現したのは、戦後の1952年。これは、日本で中絶法が施行され、女性に産むか中絶するかの選択権が与えられたことがきっかけだとか。例えば、女性に突然妊娠を告げられて驚き悩む青年主人公。もしくは、情けない男に愛想を尽かして中絶・自立する初だった少女……などなど。おおよそ妊娠小説のパターンは、出会い→初性交→妊娠=受胎告知→中絶→別れのパターンの全て、もしくは一部が踏襲されたそうです。

斎藤さんの調査によれば、小説の中では多くの場合、男はなぜか避妊をせず、女性たちはなぜか「産ませてくれ」と言うのがパターン。小説で、中絶に失敗して死んでしまう女性たちが多い時代は、社会背景的にも中絶に厳しかった時代だといいます。1960年になると、先進諸国の「外圧」によって日本の「中絶天国」が批判にさらされたとか。

でも、その後の妊娠小説になると、男性に振り回された少女が中絶を選択することで「大人の勲章」を手に入れたりもするパターンも出てきます。時代の流れは変わりますが、産むにしろ産まないにしろ、小説の作り手にとって、妊娠と中絶は登場人物たち以外に影響の及ばない手頃な範囲の物語のスパイスになのだそうです。

小説の中では、観念的な妊娠・中絶・胎児が語られるのも特徴だとか。避妊についての男の幼稚な知識もそうだし、妊娠した女が産みたがる理由を「母性」だけで済ませ、さらに「産みたい」といっていた女性がその後中絶してしまうストーリーもよくあるパターン。登場する産婦人科医は大体悪役。これらのテンプレのような内容的は、小説としては陳腐でも、妊娠・中絶のHow-to本としての需要はあったと斎藤さんはいいます。

確かに、昭和の時代にはインタ―ネットもSNSもないですから、恋愛指南の本や雑誌は手軽に出版できても、望まない妊娠や中絶についての情報を得るのは難しかったと思います。振り返ってみると、大学時代のまじめな(=チャラくない)男友達や先輩なんかは、渡辺淳一の本を1冊持っていたり、読んでいたりした記憶があります。それって、パソコンもスマホもない時代の恋愛指南本だったってことなのかもしれません。

斎藤さんは、中途半端な妊娠小説が生産・受容される背景には、西洋経由の中絶に関する意識も反映されているといいます。つまり、戦後ほとんど議論することなく社会的に中絶を受け入れたおかげで、かえって、女性の当然の権利として認められているわけでもない。だから、中絶してもいいけど、仕方にこだわれという奇妙な理屈が、日本ではまかり通るといいます。具体的には、経済的理由や未婚その他で悩んだ挙げ句の中絶ならOKという社会認識です。

斎藤さんは、妊娠小説の特徴は日本特有の文化だと茶化すような描き方をしていますが、できれば結論でバッサリ切り捨てて欲しかったです。あと、小説では大体、うら若き独身女性が妊娠・中絶するのがほとんどとの指摘。なぜなら、その方が物語性があるから。でも、現実の中絶は既婚の30代が一番多く、理由は経済的なものだそうです。これは、この本が出版されてから20年以上たった今でも変わらない実情ですね。



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