欧州から見たアメリカと女たちの生き様と。映画『ニューヨーク最高の訳あり物件』ドイツ、2017年
私の好きな批評家さんたちが、結構押していたので、見てみることにしました。結婚と離婚を繰り返し、その度に若い女性に乗り換えるクズのニック。彼は仕事ができて、お金もあります。
別れ話を切り出されたのは、元モデルでデザイナーとして再出発しようとしていたジェイド。彼女に残された慰謝料はニューヨーク・マンハッタンの高級アパート。でも、そこにやってきたのは、かつてジェイドが略奪した相手、前妻ドイツ人マリア。もともとマリアもニックとそのアパートに住んでいたこともあって、彼は二人の女声にアパートを残したのです。
マリアは文学の教養があるし、博士号も持っています。でも、ニックと結婚して、子供を産んで専業主婦になったので、料理の腕はすばらしくても、仕事のキャリアはゼロ。だから、ニューヨークで仕事を探すのはほぼ不可能です。
一方で、ジェイドはニックと家庭を持って、子供も欲しかったのに、仕事とキャリアを優先して持てなかった。冷蔵庫にはダイエットフードばかりつめこんでいるような、家庭的要素ゼロの生活を続け、40歳になったとき、若いモデルにニックを奪われます。かつて自分が40歳のマリアからニックを奪ったように。
マリアとジェイドという対照的な女性たちが登場人物なら、よくあるコメディ映画の結末として、2人で意気投合してニックをギャフンと言わせて、慰謝料ふんだくって、めでたしめでたしになりそう。でも、ヨーロッパ視点だと、そうはならないようです。
マリアの娘、アントニアと彼女の息子がやってきてから、ジェイドとマリアの関係はさらにギクシャクします。植物学の知識があって、香水を作ることができるアントニアを、ジェイドは自分の味方に引きつけ、ブランド立ち上げのスタッフとして雇用しようとします。でも、アントニアは「お金と成功だけが全てのアメリカで、息子を育てたいと思わない」と行って、ジェイドからの仕事の申し出を断り、ドイツへ帰ります。
これって、たしか最近『ムスコ物語』でヤマザキマリさんも似たようなことを書いてありました。日本人にはイマイチよくわからないのですが、やはりアメリカとヨーロッパでは決定的に価値観に違いがあるようです。
アントニアに「息子さんの父親は?」と聞くジェイドのシーンも印象的。「ヨーロッパでは、父親が誰かは問題にならないのよ」ときっぱり答えるアントニア。元スケート選手の安藤美姫さんも確かそんなスタンスだった気がしますが、日本でもそれが普通になったらいいですね。
さんざんお互いの価値観をぶつけ合ったジェイドとマリア。そして、クズなのになんとなく憎めないニック。さすがに3度めの若い恋人には早々に振られています。再びフリーになったニックは、元妻二人には目もくれず、娘や孫に愛情を示します。結局、マンハッタンのアパートは売るのか、売らないのか。二人の元妻はどうするのか。
この映画のラストシーン。多分、ほとんどの日本人が共感できないんじゃないかと思います。私にしても、ちょっとまだ頭の整理がつきません。何が正しくて、誰が悪いのか(この場合はクズ男のニックですが)、慰謝料はどうするのかというプライドの問題でケリをつける解決方法は、結局人を幸せにするのか。
人はどんな状況でも生きていかなければならないし、愛することや許すことはできる。クズ男にも一部の魂。ステップファーザーとか、ステップマザーとか、元妻や現在の妻とか、子供はともかく、孫には関係ないことですし。それぞれが納得する形で終わるのなら、それもまたありかなと。
邦題:ニューヨーク最高の訳あり物件(原題:Forget about Nick)
監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
主演:イングリッド・ボルゾ・ベルダル、カッチャ・リーマン 、ハルク・ビルギナー 、ティンカ・フュルストほか。
制作:ドイツ(110分)2017年