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中国人インタビュアーによる貴重な資料。『証言 日中映画人交流』劉文兵

戦後の日本では、映画の黄金期が1950年代後半から60年代初とのこと。黒澤明監督の『羅生門』がヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞したのが1951年。日本はまだGHQの占領下にあって、独立していなかった時代です。あんまり昔過ぎて、私にはちょっと想像がつきません。監督の名前でいえば、有名な小津安二郎や成瀬巳喜男、木下恵介があがるのだとか。

ところで、日本と中国は戦争をして、戦後は中国革命に勝利した中国共産党が中華人民共和国を建国。日本はアメリカをはじめとする資本主義国の側にいたので、中国とは国交のない時代が1972年まで続きました。ただし、国交はなくても文化交流はあったので、木下恵介監督の『二十四の瞳』が中国で上映されたのだとか。

そして、日本と中国が国交を結ぶと、文化大革命で文化的なものが全て破壊された中国に入ってきたのが日本の映画。高倉健主演の『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)は、高倉健の魅力とも相まって、当時の中国の半数以上の中国人が観たといわれます。

他にも、山田洋次監督の『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)や『遥かなる山の呼び声』(1980年)なども有名で、彼が亡くなった2014年には、中国外交部のスポークスマンがコメントを出したほど。

木下恵介、小津安二郎、そして新藤兼人といった多くの日本人監督は若い頃、中国に出征した経験を持っています。また、山田洋次監督は2歳から16歳まで「満州」で過ごした経験があります。高倉健の場合は、お父さんが「満州」へ出稼ぎに言っていたそうです。

本書は、中国人の劉文兵さんが中国と関係の深い映画人たちにインタビューした内容をまとめたものです。第一章が高倉健。第二章は、映画『君よ憤怒の河を渉れ』や『敦煌』を監督した佐藤純彌。第三章は、中国で人気だったの女優の栗原小巻。第五章は山田洋次、第六章は木下恵介の両監督です。

高倉健をはじめ、みなさんの率直な語り口がとても印象的です。中国人だけど、日本語の流暢な著者(インタビュアー)に対して、日本で受けるインタビューとは全く違う、リラックスした雰囲気にまず驚きます。やはり、日本でのインタビューや記者会見は「宣伝」だし「仕事」なので、いろんな配慮があるのでしょう。

中国で大歓迎された話、中国での撮影の苦労、そして中国の映画人や政治家などとのエピソード。どれも、とても日本人の記者では聞き出せないようなことばかり。外国人が他の国の歴史や文化を研究する理由、とくにオーラルヒストリーをやる価値というのは、こういうところにあるのだと気づかされました。

映画好きにはおすすめの一冊。昔の中国に興味がある人も、ぜひどうぞ。


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