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『シン・ウルトラマン』で賛否両論な長澤まさみのとあるシーンについて(ネタバレあり)

『シン・ウルトラマン』の作品としての感想はすでにあげているけど、そのあといろんな人の感想を観てみると、どうやら長澤まさみさんのあるシーンで賛否両論起きているらしい。

というのは、長澤まさみさん演じる浅見が、ベータカプセルの偽物によって巨大化したシーンでのカメラアングル。

胸や足などを強調して撮っていて、セクハラ的、時代にそぐわない、などという意見があったけど、個人的には特に疑問に思わなかった。なので書かなかったのだけど。

いや、正直に言うと、「おぉ、攻めるなぁ」とは思った。
ちょっと「?」って思う人もいるだろうなと思った。

ただ、それでも個人的には感想で特筆することではないと思った。

というのもいくつか理由があって。


まず、あの巨大化には「元ネタがある」ということ。
あの巨大化は、初代ウルトラマンでも同じ回が存在している。

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詳しくどんな話だったかは自分も記憶が曖昧だけど、同じように科特隊(本家ではこう書く)の女性隊員が、メフィラスによって巨大化させられる回が存在する。

先述の感想でも書いた通り、シン・ウルトラマンは「ウルトラマンの映画!」っていう映画なので、出てくる怪獣と、そいつがやることはあまり変わっていなかった(と思う)。

なのでこの巨大化も本家と同じ展開。
だから個人的には、「あー、こんな回あったな」と感じた。


そしてもう一つ、あの撮り方は「少年の素直な目線」だと思ったということ。

ウルトラマンが好きそうな、好奇心旺盛な素直な少年が巨大な女性を見たら、たぶん注目するところはあんな感じになるはず。
「ケツでっけー!」とか言いそう。

大人の男でもそう見る人はいるかもしれないが、大人の場合は巨体全体を見て、なにか推察したり、自分や社会への害があるか無いかを考えるのではないだろうか。

シン・ウルトラマンは、難しい台詞がつらつらと並べられてる感じから子ども向けではなさそうに思えるけど、実際は恐らく子どもにも観てもらえるように撮ったと思うし、そういう作品だと思う。
小難しい台詞や画面に登場する説明文は、物語の本筋には実はそこまで重要ではないので、聞き取れなかったり理解できなくても問題はない。

だから、あの目線は人間として、少年として素直な目線だったと思う。


しかしそもそも、映像作品で人間を巨大化させたら、たぶん男女関係なく、あんな感じで体の各部位を撮ることになるはず。
なので、自然なアングルではないかと思う。



それと、匂いを嗅がれるシーンについても物議を醸しているらしい。
たしかに、自分もちょっとイヤらしいなとも思ったけど、アレはウルトラマン(リピア)が人間という生き物を理解していない、人間がどんな常識を持っているか分からない状態で、逆にメフィラスは人間を理解している証拠を表した対比的表現に過ぎない。

ウルトラマンが人間になりきれていないこと、人間という生き物に対しての理解ができていないことを示す行動のひとつなので、演出視点で言うと、「意図的なセクハラ」とも言えると思う。

そのあとのメフィラスの「変態だな」というセリフがまさにそれを表している。
そしてこの一言は、メフィラスからウルトラマンへの人間社会ってこういうものだよ、というアドバイスとも受け取れると思う。
そんなことをするのは人間社会では変態って呼ばれて差別的な扱いを受けるんだよ、みたいな。
つまりメフィラスは、それほど人間社会を理解した知性の高い外星人であること。


なぜこのように対比されるかというと、そもそも本家の方で、メフィラスは怪獣の親玉的な存在として登場する。
それ故に、本作の「ウルトラマンvs他の外星人」という構図のため、メフィラスが外星人の代表的な立ち位置に立たされたのだと思う。
ウルトラマンも外星人だけど、メフィラスと比べると人間への理解度が低い。

ただしメフィラスは、心から人間を理解している訳ではなく、「人間の情報」を理解しているに過ぎない。
なので心ない計画を政府に持ちかけたりする。ザラブも同じ。

一方でウルトラマンは、情報だけでなく気持ちの面からも人間を理解しようとしている。
心から理解しようとしたからこそ、ラストのゾフィーとの対話で、あの決断を下した(先述の感想通り早いんだけど)。

ちょっと小難しい話になったけど、あのシーンはこういう対比をさせるためのものなので、簡単に「セクハラだからやめろ」と言うのは考え直してもらいたい。



それに、どちらも長澤まさみさん本人は納得の上撮られているはずだし、試写も見ただろうし、他人がとやかく言うのもおかしな話。
自分自身で不快に感じただけなら仕方ないし、それぞれ何かがあって反応してるのかもしれないけども。
せめて、フィクションを見ている時間くらいは、現実のことを忘れてみてほしいなと思う。

映画の撮り方にまで「時代」を盾に表現を抑制しようとするのは、自由さも尊重するべき現代において、時代にそぐわないのではないかなと思った。



©2021「シン・ウルトラマン」製作委員会 ©円谷プロ

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