見出し画像

土曜の夜、たまらない気持ちになる

頭がとっちゃらかっている。

考え事をしていても、常に飛び交うノイズみたいに思考が乱反射して、どんどん散らかっていく。あれもやりたい、これもやりたい、あれを食べ、この人に会いにいき、こんな夢を叶えたい。有名になりたい。愛し合いたい。(社会や世界のステレオタイプから脱構築された、多様な在り方によって生み出される私にとっての)幸せになりたい!とか。とかね。どうせなら、飛び石みたいにすっきりと一本道を通ってシンプルに前進していきたい。

いろいろな想像、妄想、願望が暴れて、脳みそをぐちゃぐちゃにしている。実際に実現できているのは、アマゾンで中古の本を安く買うことと、ひたすら自分のオーダーに合わせた食事をとることだけ。さっき鏡を見たら、顔の輪郭が穏やかに丸くなっていることに気づいた。このままではいけないな、と焦っている。焦りながらご飯を炊いて、納豆と生卵を混ぜて乗っけてかっこんでいる。

SNSをはじめ、メディアでしか自他の生存を確かめられていないから、おもに承認欲求がマネジメントしづらくなっている。誰かの配信やツイートやnoteが、とっても羨ましく感じる。自分で書こうと思うと、ちょっと手が動かない。せっかく、自分ひとりの部屋があるというのに、Mac2台とiPhone 11を完全に持て余している。シンク・ディファレント!悩んでいないで別のことを考えなきゃ…。

そうして何かを書こうとすると、紡ぎ出された言葉が、なんだかとっても「自分を見て(そして、愛して)」みたいに読み取られてしまいそうで、その解釈が仮に図星だったとしても、それはそれで癪だし、なんといっても、文脈を介してひとりぼっちで寂しいなんていうのを透かして見られるのは私の稚拙さが暴露されるようで、屈辱に感じてしまう。でも、それでも書かないと、自分ひとりの部屋を獲得している私のなかのリトル・ヴァージニア・ウルフ(尊大な言い方だけど、私が飼ってるのはもっとダメダメな奴だ)が、インナーサイクルで永遠に講釈垂れ流し続けるので、仕方なくこの可哀想な手紙を、秘密の電波に乗っけて書く。

最近の変化。簡単な人物名や、言葉が思い浮かばない。あまりにも怖くなって若年性のアルツハイマーを疑う。普段なら少しの体の不調や不安があると、すぐにGoogleで調べてメカニズムを知ろうとするのに、今回は調べてすらいない。なんともいえない「唯ぼんやりとした不安」を思い浮かべながら見過ごしている。

いよいよ、ていねいな暮らしにうんざりしつつある。TwitterでもInstagramでも、Facebookでもフルーツやハーブやスパイスを重ね合わせた美しいフードポルノがいつにも増して散見されるけど、所詮これらはポルノなのだと自分に言い聞かせる。素直に、毎日、素敵なチーズを食べつづけることを実践していたら、私の顔の輪郭はさらにぷくぷくと膨れていくかもしれない。フードポルノといえば、録画したアメトーークの鳥貴族芸人がとっても”色っぽ”かった。めちゃくちゃトリキに行きたくなった。その後、何かのゴールデン番組で回転寿司のドキュメンタリーを観た。お願い、テレビさん。やめてちょうだい。禁断症状かなにか知らないけど、今日スーパーマーケットでサーモンと中落ちマグロ赤身、そして鶏ムネ肉を買ってしまった。タンパク源が、完全にテレビに乗っ取られている。ああ、いやだいやだ。

最近、よく夢をみる。夢というのは現実離れした設定や相関図が忽然と現れるけど、現在の私の場合、起きている時の思考回路より、むしろ夢のほうがシンプル然とした構造(決してシンプルじゃないことをわかっている)だ。登場するモチーフも、実に理路整然としていて驚く。寝ている時の方が正気なんて!

この前見た夢なんて、本当にミニマルで象徴的だった。記号と記号と記号。出てきたのはたった3つのモチーフなのに、目覚めた瞬時にその夢を読解できた。名誉男性気取りのインセルな欲求に、何重かのレイヤーになった私という情けないコンテクストが顔を出していた。ところで夢の具体的な内容は、各自にお任せすることとしましょう。フロイト先生のせいで、こういうことを書くとなんだかとってもいやらしいぜ!

ほら、たった今にも、次に書きたいことを忘れてしまった。ここずっと頭の片隅にいるのが、太宰の『トカトントン』だ。あの話の意地悪なアティチュードを思い出しては、ガックリと頭をうなだれている。

メディアでは、みんなが、大丈夫!という。祈りを。という。これからの「未来」に向けて頑張ろう。としている。いっぽうインターネットの辺境では、みんながあいつが悪い。といっている。国が悪い。といっている。もうだめだ。といっている。みんな大丈夫だし、大丈夫じゃなさそうだ。ダブルシンクの練習?と思ったりするけれど、私はシニシストをあまり(とても)好かないので、同情も嘲笑もしない。ただ、大衆のうねりと同期しすぎると、トカトントン、とどこからか聞こえてきて、頭をがっくりしてしまうので、その度に少し肩が凝る。

オンボロの肩をほぐしてもらいに、整骨院にいきたい!と思ったけれど、このご時世、行けるわけがない。”気”をとらえるんだという謎の曼陀羅模様のシールを両手の甲に貼ってくれた、あの先生は元気だろうか。

いろいろな不安とフラストレーションが溜まって、他者とのコネクトを求めるがゆえに、自信がなくなり、無気力になって、肩が凝り、血流が悪くなって、脳みそがぐちゃぐちゃになっている、というところまでは整理できた。だけどやっぱり、インターネットを止めるには至らない。今、やめてしまったら、事実上、私にとっての東京が生死不明の冷凍都市になってしまう。そうなってくると、いよいよ自分と向き合わなくちゃいけない。それだけは避けたい。  

そんな惨めな個体にも福音と救いはあるわけで、部屋掃除をしてきれいになった床の隙間で、イヤフォンをつけ、無になって踊っている。まあまあ楽しく踊れているから、まだ生きてる!って感じがする。いくら事態がカオスだからって、甘いマスクの全体主義を求めたりしちゃいけない。そいつはサノバビッチだ!存在しないオリンピックイヤーにおいて、インターネットをたまに見て時代に流されず、無駄に怒らず、必要時には声を上げて、疲れたら週末はMUになって踊ろう。

ということで、あなたへのこの手紙で伝えたかったのは、このオチだけ。新しい10年間が始まったはずなのに、まるで世紀末みたいなこの国の、初夏のサタデー・ナイトに、全てのむさ苦しい欲求をダンスに変えて、生き延びていくためのセクシーな魔法のタイトルを添えて終わりにします。



この記事が参加している募集

#私のイチオシ

50,792件