どこにでもあるよくある話

学生時代のバイト先の友達と、久しぶりに電話で話をした。

彼女は私にとって、ある分野での唯一の理解者だった。誰にも話したくないような秘密なんていうのは、結構ありきたりの現象で、誰もが心の奥底に埋めたまま抱えているタイムカプセルみたいなものだ。いや、タイムカプセルという表現だと、やや美しすぎるかもしれない。もっと鬱屈としていて見向きもしたくなくて、いつ急に無意識の氷河からぷっくりと意識の表面に顔を出して、その勢いで私自身を吹っ飛ばして粉々にするかも分からない、不発の魚雷みたいなものだ。不穏で汚らわしくて、それでいて自分がもっとも恐れている時限の分からない爆弾、に近い。

大学4年の卒業間際に、彼女とファミレスで他愛もない話をしていた。そこで、何を思ったか、不意に私は自分の抱えるその不発弾みたいな身の上話をしていた。彼女は、決して私の錆びた地雷のような話を馬鹿にしなかった。あわれんだりもしなかった。ただ淡々と耳を貸し、私の話が終わった時には、彼女自身の古傷を(生傷を)こっそりと教えてくれた。

私たちは別々の人間だし、別々の時間を、空間を生きてきたわけだから、お互いの苦しみを100%再現して理解できるなんて微塵も思っていなかった。けれども、誰にも見せずに自分の腹の底でじっと抱えていた不気味な物体を、少し見せたことで大いに安心感を得た。私も彼女も、普段はよく笑い、よく笑わせ、よく笑われる明るい人種だといわれているタイプだった。ていうか、私たちは今もそういうふうに思われているし、別に「まったくそうではない」とも思っていない。ふたりともそれなりに明るいし、それなりにまっすぐ生きていると思う。相対的でなく、絶対的に私たちは割と幸せだと思う。

私たちは決してベタついた粘着質な関係ではないし、私はこの歳の人間にしては連絡がかなりずぼらなので、多々彼女の連絡を見過ごしてしまうことがあった。とても申し訳ないと思いつつ、久しぶりに顔を合わせると、結局相変わらず普通に打ち解けて話せるのだった。彼女のおかげで、自分の秘密はだんだんと邪悪なものでなく、ただの過去の産物になっていった。私が彼女のそれを、和げてあげられたのかは分からない。けれど、私は確実に彼女のおかげで不発弾の処理に成功しつつあった。


今日は父の日だ。私は落語を聞いている。古今亭志ん朝の真田小僧を、もう5回くらいループで再生している。途中で柳家さん喬の芝浜を、立川談志の真田小僧を、神田伯山が松之丞名義時代の天明白浪伝 首無し事件を挟んだ。でも、結局志ん朝さんの真田小僧を聞いている。子どもの愛嬌がたまらない。あっけないほど小ざっぱりしたサゲは、散り散りの拍手に紛れていくのがどうしてか、とっても色っぽく感じてしまう。なんと言っても面白いのでついつい笑ってしまう。父の日だから、父息子の落語を聞くなんて、ちょっと風流じゃないですか。でも、私の場合、そんなお洒落なことではない。

父親は落語が好きだ。大学時代は落研だったらしいと聞いた。ついでにジャズも好きだ。こうやって活字にすると、とてもブルージーでクールなお洒落親父みたいに見える。面白い。でも、私はこの父親に、素直に連絡できないでいる。これは、単純に私が連絡不精のズボラというだけの理由ではないと思う。

娘のくせに、エディプスコンプレックスみたいなものを抱えている。実際、私は長男坊として育ってきた感覚も大きいと思う。高校時代に、分かり合えない父親に対して、腕力でも口でも闘う気の無かった私は、かなり陰湿な抵抗をしたことを覚えている。大学模試の志望校に、目指してもいないのに、父親の大学の学科を入力して、余裕で1位を獲ったのだった。後日、他のマジな志望校に紛れて「何百分の1位」とぶっちぎっていた順位が返ってきたのを見た時、なんともいえない気持ちになって、流石にちょっと生意気すぎたと反省した。その時を境に、くだらない犯行は辞めて真面目に受験勉強をしはじめた。そんな愚かな思春期に比べたら、だいぶ打ち解けたとは思う。

大学を卒業してすぐ、父方のおばあちゃんが亡くなってから、何度か素直に振る舞ってみてはいるものの、やっぱり話しかけるときはちょっとぎこちないし、会話が続くと、砂利を奥歯で噛み締めるみたいな違和感をいまだに感じてしまう。

まあそんなことはどうでもいい。去年の年明け、神田松之丞の講談に出会ってから私も噺に興味を持つようになった。せっかくなので、父親に連絡してみた。すると、お気に入りの噺家を見つけて、寄席に行ってみたらどうだと返事がきた。普通の会話だった。これしきのやりとりなんて、普通の家族からしたら夕食の一瞬の出来事なのかもしれないけれど、私からするとほほぉーと思えるほど感情のこもったやりとりだった。

父親が一番好きなのが、人情噺なら古今亭志ん朝、笑いなら桂枝雀らしい。この前実家にフラッと帰ったら、父親は志ん朝さんのDVDボックスみたいなのを見せてくれた。気になるやつを貸してくれると言っていたけれど、次にいつ実家に戻るかも分からないし、私はそもそもそうとう帰省しない人間なので、借りずに話だけ聞いて東京に戻ってきた。

ようやっと、父親と肩を並べて話ができるようになってきたな、と思った。女子高生だった私には、ビルエヴァンズの魅力も芝浜の面白さも分からなくて当然だ。それに、きゃりーぱみゅぱみゅやズクダンズンブングンゲームの面白さを、お父さんが理解できないことだって必然かもしれない。

その頃、私がクラスメイトと共有するのに夢中だった笑金をみていた晩のこと。父親は夕食を食べながら、チャンネルを回せないイライラで、私がみていた番組を「くだらん」と一蹴していた。私はせっかく笑っているのに、チャンネルをテレビタックルか何かに変えられるのが悔しくて、いつもより強気でリモコンを渡さずに、聞こえないふりをしてずっとテレビ画面の方をみていた。その時、エレキコミックのやついいちろうさんが出てきて、ものすごく明るい顔でカメラに向かってネタをやった。やついさんの渾身の笑顔がズームで抜かれた時、さっきまでムカムカしていた父親が思わず吹き出した。

あの瞬間を、私は忘れられない。多分、この先ずっと、私が死ぬまで覚えているんじゃないかと思う。別にありがとうエピソードでもなんでもないけど。では書き終えたので、今日はもう一回だけ、古今亭志ん朝の真田小僧を再生しようと思う。






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