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ポリコレとエンタメ 前編:私はいかにしてポリコレに熱狂したか #私の2010s

第2回: 私はいかにしてポリコレに熱狂したか

カナダで目撃したオスカーの大事件

大学の卒業旅行で、カナダに行った。滞在先のバンクーバーで時差ボケに苦しみ、ひとりでホテルに残って買い込んだスナックやキャンディを貪りながら、ひたすらテレビを見ていた。

ちょうどその時、第89回アカデミー賞がライブ中継されていた。ジミー・キンメル司会のもと、ケータリングのドーナツが天井から吊るされて現れたり、マット・デイモンがこてんぱんにイジられる演出が面白くて、ボーッとした頭でその一部始終を楽しんでいた。

この年のアカデミー賞では、ある大事件が起きた。それは、最後の最後の大トリで、いよいよアカデミー作品賞を発表する時に起きた、とんでもない言い間違いだ。

まず、公開50周年を迎えた映画『俺たちに明日はない』のクライドとボニーを演じたウォーレン・ベイティとフェイ・ダナウェイがプレゼンターとして登場。年を重ねたクライドは、手に持った封筒をあけて中身を確認し、ボニーが微笑んで『ラ・ラ・ランド』という。拍手喝采と、抱き合う製作陣。煌く会場。

なんの疑いもない受賞スピーチが続くその後ろで、スタッフや司会のジミーが乱入し、何やら話をしている。エマ・ストーンが笑顔のまま、目線だけ動かしてそれらを見守る。まごつく舞台の上で、『ラ・ラ・ランド』のプロデューサーはマイクに向かって、少し早口でこう言った。

どうやら僕たちじゃないみたいだ、『ムーンライト』が今年のナンバーワンだ、冗談じゃなく、君たちの作品が受賞だ

そして、彼の手にある『”MOONLIGHT”』と書かれた紙をカメラがとらえる。ネットニュースでもTwitterでもなく、テレビでこの様子をリアルタイムに観ていた私は、相当興奮していた。

今でこそ、ブラックコミュニティを主体として取り上げた『ゲット・アウト』や『ブラックパンサー』など数多くの名作が生まれているものの、当時の『ムーンライト』の受賞は事件的だった。それまで頑なにホワイトだったハリウッド映画史において、初めてダイバーシティの可能性を見せられた一幕でもある。

その頃、すでに『攻殻機動隊』ハリウッド実写化のホワイトウォッシュ問題や#MeToo運動などは議論されつつあり、ブラック・ライブズ・マターも注目されていた。2010年代エンタメにおけるポリティカル・コレクトネスの夜明けだ。有色人種であることや、性的マイノリティであることの二重構造をもったラブストーリー『ムーンライト』が獲得したオスカーは、ポピュラー映画の転換期になったともいえる。

象徴的だったのが、間違えてアナウンスされた『ラ・ラ・ランド』が、いわゆる白人男女の恋愛を描いた既存の王道ハリウッド映画だったことだ。この事件はスタッフの手違いが原因で起きたとされているが、偶然にしては映画のような「記号のスーパーリロード」を私は目の当たりにしていた。

ポリティカル・コレクトネス、光と影

2020年の今、ポリティカルコレクトネスは事実として、光と影の両面を生み出している。いきすぎたポリコレの熱は、SNSの世界で紋切り型となった炎上ムーブメントとしてトキシック・ファンダムやキャンセルカルチャーと化し、コンテンツの方向性そのものが左右されてしまう時代だ。

それは民主的な土壌であるといえるいっぽうで、作り手は常に一歩踏み間違えたら炎上の綱渡り状態だ。「正義にそぐわない」者たちは、皆同じように公開処刑のような形式で祭り上げられる。

そもそも、本来ポリティカル・コレクトネスは正しいムーブメントであるはずだ。ターゲットが何らかの形で息を潜めるまで鎮火されない炎には、疑問を抱かずにいられない。

今回は、映画『ムーンライト』後の2010年代後半を振り返っていくことで、私自身がポリコレへに目覚めてからちょっとした中毒になり、それに気付いて最終的にどう向き合っていくまでの軌跡を考察する。

熱狂の頂点は『ブラック・パンサー』

『ムーンライト』や『ゲット・アウト』といったブラック主体の映画作品で目覚めた私のポリティカル・コレクトネスへの熱は、2018年2月(日本では3月)のマーベル映画『ブラック・パンサー』で頂点に達した。私はストーリーに涙し、熱狂し、生まれて初めて映画館に3度足を運んで同じ映画を見るという経験をした。

『ブラックパンサー』の音楽プロデュースは、アルバム『DAMN.』が日本でも話題だったラッパーのケンドリック・ラマーが担当している。

ところで、そもそも『DAMN.』は『ブラックパンサー』が上映される1年ほど前の2017年4月にリリースされたアルバムだ。2018年1月(日本では2月)『ブラックパンサー』公開とほぼ同時期に行われた第60回グラミーでは、『DAMN.』や収録曲『HUMBLE.』が主要2部門を含む7部門にノミネートされ、受賞の行方が大きく注目された。

結果として、年間最優秀レコード賞、年間最優秀アルバム賞、年間最優秀楽曲賞などのグラミー主要部門は『24K Magic』を提げたブルーノ・マーズに軍配が上がったものの、ケンドリック・ラマーはラップ4部門と最優秀MV賞を獲得している。

これらの結果は「ケンドリック・ラマーの過小評価ではないか?」といった議論を生んだものの、2018年4月にケンドリック・ラマーがピューリッツァー賞を獲得したことで、ニュースはNHKなど日本のマスメディアでも大きく取り上げられはじめた。さらにその夏、彼はフジロックフェスティバルで2日目のヘッドライナーとして来日している。

まとめると、2018年夏の日本国内での『DAMN.』熱狂は、実際にはアルバムリリースから1年間ほどのタイムラグがあった。グラミー、ピューリッツァー賞を経て彼が日本で話題になった時、彼の最新の作品は『ブラックパンサー:ジ・アルバム』だったのである。

これからのポップカルチャーに抱いた希望

ブラック・パンサーやケンドリック・ラマーに夢中だった2018年の私は、未来にある期待を抱いていた。それは、これからやってくるイエローエンタメの世界だ。

実際、BTSはすでにアメリカでプロップスを得て世界的なアイドルになりつつあったし、ラップの世界でも88 risingがいよいよポップカルチャーとして盛り上がっていた。また、今年はポン・ジュノの『パラサイト』がオスカーを獲った。今後もディズニーは『ムーラン』を実写化し、マーベルでは『シャン・チー』公開を予定している。

ストレートな政治的ステイトメントではなく、エキサイティングなマイノリティ表象のエンターテインメントによって世界が更新されていく可能性は、その時、希望に満ち溢れていた。けれども、それと同時にエンタメに対して過剰に「政治的ステイトメント/コンテクスト」を期待しはじめ、それによって作品を見極めていく自分がいるのもまた、事実だった。


次回、〈ポリコレとエンタメ 後編:炎上中毒と向き合うきっかけ〉に続きます。

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このnoteは、今年発売された書籍『2010s』を読んで、私にとって青春時代のほぼすべてだった2010年代のエンタメは、どうだったかを振り返ってみるwebファンジンです。詳細はこちら:


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