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「辛い」という言葉の未分化について

とても辛い。

と書いてあるとどう読むだろうか。
ヘッター画像に唐辛子の写真が使われているので「とてもからい」と読んだ人が多いかもしれない。
しかし「とてもつらい」と読むこともできる。
ちなみに、新聞や書籍では混同することがないよう、つらいと読ませる場合は漢字ではなく平仮名を使う。

しかしこの辛いという言葉はもっとややこしい問題をはらんでいるのだ。
よく料理のレビューで「味付けが辛い」と書いてあるが、これはどういう意味なのか。
この流れで読むとHotな味付けが強すぎるという意味に捉えられるかもしれない。
しかし、辛いにはSaltyという意味もあるのだ。
つまり、HotもSaltyも日本語では辛いと書けてしまう。
不便なので最近ではSaltyを塩辛いとか、塩っぱいと記述する人が増えたように思う。
なぜそうなっているのかというと、日本には近代まで唐辛子的な味付けをする食文化がなかったからだ。

唐辛子はその原種が南米で発見され、そこから東にヨーロッパに伝わった。
日本には南蛮貿易で伝わったが、伝統的な日本料理に合わないと判断されたのか、Hotな刺激が苦手な人が多かったのか、最初はもっぱら観賞用として栽培された。
しばらくして七味唐辛子が考案されても最初は薬扱いだった。
ちなみに胡椒は奈良時代にこちらも薬として伝わっているが、非常に高価なので楽しんでいたのは貴族階級で、庶民は江戸後期まで口にすることはなかった。

なお、朝鮮半島には我が国を通じて唐辛子が伝わったが、こちらではすぐに受け入れられて、多くの料理が真っ赤に染まっていく。
キムチ(沈菜)も昔は日本と似た漬物だったのだ。

朝鮮半島の人々は我が国と同じ農業を主体とし、米と野菜が中心の食事をしていたが肉食禁忌がなかった。
そのため胡椒も早くから取り入れていたようだが、胡椒は輸入に頼るしかないのでとにかく高い。
そこへ唐辛子が伝わると朝鮮半島でも栽培できるということで一気に広まった。
逆に我が国では大っぴらに肉を食べることができなかったので、解体技術も調理ノウハウも未発達のままで、胡椒も唐辛子も肉料理に合わせることを知らなかった。
そのため刺激物の味わいに対する言葉が現在でも発達していないのだ。

例えば北九州に柚子胡椒という調味料があるのをご存知だろう。
この名称が奇妙だなと思ったことはないだろうか。
胡椒なんて使われていないのに、胡椒を名乗っている。

西日本では唐辛子の受容が特に遅く、胡椒のほうが尊重されたこと、胡椒と唐辛子の刺激を味利きできるほど刺激に慣れていなかったこと、唐辛子も胡椒と呼ばれたことなどが理由と考えられる。

いわゆる本来の辛いはHotだし、塩辛いはSaltyで、胡椒の辛さはSpicyと呼ぶべきだろう。
英語ではちゃんと呼び分けられるのだ。

最近では山椒の辛さも加わるようになった。
中国語では唐辛子の辛さを辣、山椒の辛さを麻と呼び分けているが、日本の場合これまた「辛い」しかなくて不便だ。

他にもある。
ワサビ、芥子、ホースラディッシュの辛さはどうだろう。
ツーン!と来る揮発性の辛さで上記の辛さとは全く異なる。
ワサビや芥子なんて、そこそこ歴史があるのに、その辛さに呼応する言葉を生み出していないなんて、日本人は本当に辛さに無関心と思う。

ここで「辛い」を成分別に整理してみよう。
・塩・・・・・・・・塩化ナトリウム
・唐辛子・・・・・・カプサイシン
・胡椒・・・・・・・ピペリン
・山椒・・・・・・・サンショオール
・ワサビや芥子・・・アリルイソチオシアネート

実際にはもう少し複雑だが、わかりやすくメインの辛味成分を抜き出した。
自分で色々試してみると、例えば胡椒を大量に使った料理では、唐辛子との区別ができない人がほとんどだった。
辛さは味覚ではなく刺激なので、刺激が過大になるとカプサイシンとピペリンの違いが区別できなくなるのだ。
山椒もサンショオールに麻痺成分が含まれているので判断できるが、それがなければわからないかもしれない。

とはいえ、これらを全て「辛い」で伝えるには無理があるとご理解いただけたのではないか。
言葉というのは考えを正確に伝達するためのツールなので、そのツールに不具合があれば当然伝達に支障をきたす。
残念ながら僕にはこれらを言い分けるための優れたアイデアがまだ見つかっていないので、どこかの国語学者や言語学者が提案してくれないかと考えたりもする。

しかし、言葉というのは権威的に定められるものではなく、社会の中で自然に醸成され、適切と思われれば広く使われ始めるものなので、何よりも我々が「辛い」を区別して語ることが大切なのだろう。
そうすれば100年後くらいにはもっと正確に辛さを言い分けることができる言葉が生まれているかもしれない。
僕はそのためにせいぜい努力して正確な記述を心がけるようにしたいと思う。

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