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【付き合う人を選ぶのは当たり前】 皆と仲良くしようとするから辛いんだ

この世の中は"ご縁”の世界だ。
しかし、だからと言って全てを受け入れる必要はないと思う。

自分の信念に沿わないこと(人)を受け入れて苦しむくらいなら、そのご縁は受け入れなければ良いのだ。

"受け入れない"と言うと否定するように聞こえてしまうかも知れないが、そうでは無い。
「あぁ、そういうこと(人)もあるのか」と"受け流す"のだ。 

そうすれば不必要に悩むこともないし、違った視点があることに気づくことだって出来る。

これが出来るようになると不思議なもので、嫌いな相手にも「その視点があったか!」と感謝する気持ちが湧いてくる。
そうなれば、随分と精神的に楽になれるとは思わないだろうか?


「類は友を呼ぶ」とか「あなたの周りの5人の平均があなた」という言葉がある。

このことは、自分の周りには同じような人が集まるということを、我々人間は昔から共通の感覚として持っていた証拠と言えるだろう。

だから、不調和な人間が現れたとき、受け入れない選択をすることは至って普通のことなのだ。

ただ、受け入れないという選択肢を"拒絶"という態度で示すから不具合が生じるのだと思う。

先程も述べた通り、受け流せば衝突しない。
或いは、「どうして?」と相手の視点に立てば、心からの納得は出来なくても表面的には理解できるかも知れない。


野菜についた土を"ご縁"だからと言って食べる人はいないだろう?

土を洗い流して食べるのと同じように、受け入れたく無ければ水に流してしまえばよいのだ。

これは人に限ったことでは無くて、情報や思考も同じだ。

役に立たないSNSを見て、己の信念をねじ曲げてはいないか?
他人の承認欲求の肥やしに成り下がっていないか?

自分への戒めも込めて敢えて厳しく書いたけど、本当にくだらないことなんだ。


人間関係で悩む人は沢山いる。
でも、そんなことで苦しむのは勿体ないことなんだ。
もっと自分の信念や価値観を大切にしよう。

うつ病になってどん底に落ちた僕が立ち直れたのは、それに気付けたからだ。
だから、今苦しんでいる人たちだって、きっと立ち直ることは出来ると思う。

この記事が誰かの救いになれば幸いである。

多くの愚者を友とするより、一人の知者を友とすべきである

デモクリトス(古代ギリシャの哲学者)




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