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うつ病になりたくなかったら素直に甘えなさい

 ネットの掲示板などで「うつ病は甘え」という言葉を目にする。確かに、社会の荒波の中に居る人からすれば、働かないで家で過ごしているうつ病患者が甘えている様に見えるのも解らないではない。だが、うつ病の当事者として弁明させてもらうと、うつ病になるくらいなら社会の荒波でもがいていた方がずっとマシと思うくらい苦しいし、もし甘えることが出来ていたなら、うつ病にはならなかったと思う。
 僕が思うに、許容出来ない問題に直面すると、大抵の人は他人に頼ったり、妥協点を見つけたりして"適切に甘える"のだが、うつ病になる様な人はそれが極端に苦手なようだ。人それぞれ体質や価値観が違うのだから、許容出来るラインも異なるのに、周りの人が出来るのだから、或いは周りに迷惑をかけない様に自分もやらなくてはと思い込んで、自分の弱さに蓋をして無理をしてしまうのだ。

 僕がその様に思ったのは、ジムに通って他の人を観察しているうちに、「皆んなテキトーで自分に甘いな」と感じたからである。僕が通っているのが公営ジムということもあると思うが、僕の目から見て"しっかりトレーニングしている人"は皆無に等しい。皆、思い思いに身体を動かしているが、フォームは滅茶苦茶で可動域は小さいし、重量も回数も明らかに「甘い」と思う人ばかりだ。呼吸やフォームを意識して1回1回を丁寧にやることを心掛けている僕が"変"なのかと思えてくる。そんな僕の基準からしたら彼らのやり方は「あり得ない」のだが、トレーニングの目的や価値観は人それぞれだから、彼らのやり方が間違っているなどと批判することは出来ない。むしろ、楽しく運動を継続することを目的としているのなら、フォームや重量などは些末なことなのかも知れない。フォームや重量設定が甘くても、それで満足しているのなら彼らにとっては正解なのだ。

 そもそも「甘え」は悪いことなのだろうか?ネガティヴなイメージが先行しているが、見方を変えれば"自分の弱点を理解している"とか、"危機管理能力や問題解決能力が高い"と言うことも出来るのではないか。例えば、1人では処理出来ない仕事を抱えたときに同僚を頼るのも、悩みごとを誰かに相談することも、生きていく上で必要な「甘え」だ。僕はそれが物凄く苦手だった。甘えるのはとても恥ずかしいことの様に思えたし、それは他人に迷惑をかけることだと思っていた。だから、問題を一人で抱えて山積みにしてしまったのだと思う。せめて身内や自分自身に対してはもう少し甘えても良かったのかな、と今になって思う。
 思い返してみると、仕事の遅い同僚も、他人のノートをコピーして試験に挑んだアイツも、怠惰の様に見えて、彼らなりに自分の許容ラインを超えない様に戦略的に甘えていたのではないかと思う。そんな生き方が良いとか真似したいなどとは思わないが、それぐらい出来た方が生きやすいのかも知れない。

 人それぞれ許容できる程度は違う。人並み以上に許容出来ることが"強い"訳でもないし、人並み以下だから"弱い"訳でもない。それは個性の様なモノだ。許容出来ない問題に直面したときに、周りの人に頼ったり共有したりしながら問題を解決していくことが、社会の中で生きていく上では肝要なのだろう。
 もし、心が病みそうになったなら、素直に他人に甘えてみよう。皆、どこかで甘えている。それに、頼りにされるのは嫌じゃないという人は多いものだ。

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