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エンディングのその先へ

長く浸っていたいから。

こんにちは。
どうも、けこぜろです。

昨日の記事で500回目の投稿となりました。
我ながら長々と書いているようです。

ですが、今日この投稿で500日連続投稿となります。
noteを始めた頃、1日だけ1日に2つの記事を投稿したことがあるため、投稿数と連続投稿数がズレてしまっているんですよね。
地味だけどこのズレは厄介ですね。
昔の自分に文句を言いたくなります。

さて、今現在も3週間ほど前に発売された『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』を遊んでいます。
1週間ほど前にクリアをしましたが、まだまだ遊べる要素がたくさんあって最高ですね。
遊び切れる気が全くしません。
嬉しい限りです。

本来ならゲームってクリアするとそこで終了、終わりを迎えます。
ですが、昨今のゲームはクリア後に解放される要素があったり、クリアしてもゲーム内のストーリーが続くこともあればラスボス戦前に巻き戻ることもあります。
それでもクリアすることで一区切りがつけられる訳で、やっぱりクリアの前後で抱く感情は全く別のものとなります。
今回はそんなゲームのエンディングに関する話をしようと思います。


クリアしても終わりではない

大体のゲームはこれですね。
メインのストーリーを終えても、やれることがたくさん残っていたりします。
例えば僕が好んで遊ぶFPSはマルチプレイヤーが主体のゲームですが、ストーリーモードであるキャンペーンというものもあります。
対戦ゲームがメインではあるのですが、ここで描かれるストーリーも中々に良かったりしますね。
ですが、マルチプレイヤー主体のゲームでストーリーモードは「チュートリアル」と称されたりします。
もはやストーリーモードは練習モードで、これが終わってからが本番、クリアしてからオンラインマルチプレイという真のゲームが始まるのです。

ただ最近ではFPSのストーリーモードでもマルチエンディングで周回が必要だったり、トロフィーなどのやり込み要素のため同じミッションを繰り返しプレイすることもありますね。
シングルプレイとマルチプレイは別物ですが、マルチプレイヤー主体のゲームでも繰り返しシングルプレイヤーをプレイすることもできるのです。

今年になってクリアしたシングルプレイヤーのゲームとして『The Last of Us Part I』と『ホグワーツ・レガシー』があります。

前者はリニアなストーリー主体のゲーム、後者はオープンワールドのやり込み要素が豊富なゲームとなっています。
『The Last of Us Part I』はかなり濃密な物語が描かれ、映画のようなストーリーを自らプレイすることで得られる唯一無二の体験ができました。
初めはリアリティのある世界観に圧倒されてしまい、必要以上に恐怖を感じていて中々進めることができませんでした。
感染者が怖く、やられて何度もやり直すのが本当に嫌でした。
ですが、これも1つのゲーム。
やられても問題ありません。
むしろ何度もプレイすることでそのゲーム自体も上達することができ、何度もやり直すことが減ってくるのです。
慣れてからは一気にクリアまで遊んでしまいました。
クリアはしましたが、プラチナトロフィーを取得するまで頑張りたいとも思っています。

『ホグワーツ・レガシー』は映画『ハリー・ポッター』の世界に入り込むことができた夢のようなゲームでした。
オープンワールドのためメインのストーリーだけでなく、様々なところへ寄り道することができます。
ゲーム内で描かれる世界を隅から隅まで冒険することができますが、あまりにも広大すぎて果てがないほどです。
ストーリーもありましたが、クリアしても終わりではありません。
最後の戦いを終えたクリア後の世界で、これまでと同じような冒険をすることができるのです。


エンディングを迎えた後

基本的にゲームのストーリーは不可逆なものとなっています。
セーブデータをロードすることで戻ることはできますが、基本的には一方通行でクリアすれば元に戻ることはできません。
上の『The Last of Us Part I』はステージクリア型のゲームのため、同じステージをプレイすることで同じ物語を追体験することはできます。
エンディングを迎えても、以前のステージを選択すればストーリーを再プレイすることができるのです。

一方『ホグワーツ・レガシー』は終わったストーリーを再プレイすることはできません。
エンディングを迎えてクリアすると、ラスボスを倒した後の世界を冒険することができます。
そこでは取り逃がした収集物を探したり、戦っていない敵に挑んだり、楽しみ方はたくさん残っています。
ただこのゲームでは、クリアをするとエンディング後の世界で遊ぶことができるのです

今年クリアした別の作品として『ゼルダの伝説 スカイウォードソードHD』と『ゼノブレイド3 新たなる未来』の2つがあります。
これらの作品に共通するのは、クリアをするとラスボスに挑む前の状態に戻るということです。
デンディングを迎えるとセーブデータにクリアの証がついて、ラスボスに挑む前に本編中の時系列が巻き戻っています。
これによりさらに鍛えてからラスボスにまた挑むこともできますし、ラスボスを倒す直前という、物語上では緊迫感のある世界でひたすら寄り道することもできますね。

この2本に限らず、大体のゲームはこれらのようにクリアするとラスボス前に巻き戻りますね。
ラスボス討伐後の世界を描くゲームは割と稀で、つい先週クリアした『ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム』も前作同様これでしたね。

いつか個別の記事にしようと思っていますが、『DEATH STRANDING』というゲームがあります。
個人的にかなり思い入れのあるゲームで、僕自身この作品に影響されたことも多々あります。
この作品では、エンディングを迎えるとエンディングの2週間前に時系列が巻き戻ります。
このゲームはオープンワールドのため広い世界を好きなように遊ぶことができますし、かなり物語性のあるゲームなためストーリーを先に進めたいという欲も出てきます。
そしてエンディングもまた素晴らしいもので、涙なしには見られないものとなっていましたね。
ゲームとしても面白い作品だったので、クリア後も同じゲーム性で遊べるこの工夫は面白いと感じていました。


クリアで得られる体験を

ようやく本題です。
大抵のゲームはプレイが面白く、途中まではストーリーが気になってガンガン先に進めるものの、ラスボス前になるとクリアするのがもったいなく感じてしまいます。
エンディングがどうしても気になる場合クリアしてしまうこともありますが、大抵は立ち止まってしまいますね。
そこまでプレイする時間が膨大なほどクリアするのを躊躇ってしまいます。

クリアするまで遊んだ時間に比例して、そのゲームに対する思い入れも深まっていきます。
長時間遊ぶとそれまで遊んだ時間分の思い出ができるので、クリアすることで区切られるのが少し嫌になってしまうんですよね。
クリアをすると、それまでのプレイに見合ったエンディングが待っています。
これを見てしまうといよいよ終わりを迎える訳です。
別れの時が来るとも言えますね。

いくらゲーム内の時間が巻き戻っても、エンディングを見る前と後での感情は大きく違います。
エンディングの感動を覚えているかどうかの違いですが、これってかなり大きいですよね。
このことを考えるとやっぱりクリアした方がいいと感じます。
エンディングを先延ばしにすることで、そのゲームで遊ぶという寿命を伸ばすということはできますが、やり込み要素の豊富なゲームこそ早々にクリアしてからやり込むという手があります。
ネタバレ回避という点でも、やっぱり早い内にクリアするのもアリですよね。

それでもクリアするのは少しもったいなく感じます。
長く遊びたいからこそエンディングを迎えるのは躊躇する。
不思議なものです。
ですが、これは自分自身の手でプレイするゲームでしか体験できないことですね。
映画は観ていれば自動的にエンディングまで辿り着きます。
途中で鑑賞をやめることもできますが、長時間ある映画こそ終わり方が気になったりますね。
でも能動的にプレイしているゲームは、クリアするもしないも自分の手に委ねられるところがあります。
様々な事情があって積みゲーが増えているのですが、やっぱりプレイするからには最後まで遊びたいですよね。



まとめ

こんな感じで、ゲームのクリアに対するあれやこれを、取り留めもなくダラダラと書き連ねてしまいました。
500日連続投稿の記念すべき記事ではありますが、適当なことを書いてしまった気もしています。
自分自身何を書きたいか途中で分からなくなってしまいましたし、見切り発車で記事を書くのはよくないということも学びました。
今後の投稿に活かしていきたいですね。

当初の予定では、この500日連続投稿で一区切りをつける予定でした。
毎回最低1000文字を目標にしていますが、毎日ネタを考えて投稿するのも限界を感じていたのです。
でもせっかくなので、投稿し忘れるまで毎日noteを書き続けようと決めました。
この500日連続投稿は1000日への折り返しです。
これからも適当なことをダラダラと書いていきますので、今後ともよろしくお願いします。

それでは、また。

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