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"沖縄の伝統"が1枚の畳に凝縮。子供の健やかな成長を願う『命名畳』に込めた想い

【Create New Market】Episode.19

日頃表舞台に立つ機会が少ない製造業が、知恵と技術を凝縮して生み出した商品やサービスによって思いがけず注目の的となることがあります。
どんなきっかけで作り出し、どんな思いで世の中に送り出したのか。
1つ1つの商品が世に出るまでの舞台裏を覗くと、かけがえのないストーリーが隠されています。

今回は、たかえす畳店(沖縄県那覇市)が展開する「命名畳」にスポットを当てました。
子どもの健やかな成長を願う風習をヒントに畳とのコラボレーションで生み出した商品は、沖縄の伝統と地域性が反映された逸品としてあるきっかけから多くの家庭に広まっていくことになります。



【Introduction】地域に根差した「やってくれそうな畳屋さん」

那覇市の住宅地の一角に店を構えるたかえす畳店。
1968年に宮古島で創業し、長らく地域に根づきながら住宅向けを中心に畳の製作や張替えなどを手がけてきました。

宮古島での展開を広げ、那覇市に進出することになったのは2014年。
「やってくれそうな畳屋さん」をキャッチフレーズに掲げ、豊見城市にある工場と一体となって沖縄本島で事業を営んでいます。
一級畳製作技能士の資格を持つ職人たちによる確かな技術によって、一般的な畳やフローリングで使える置き畳、縁(ヘリ)がない伝統的な琉球畳まで幅広く手がけてきました。


【STEP.1】父の姿で本腰を入れた畳づくりへの想い

専用ミシンで1つずつ縫い上げながら仕上げる畳づくり(たかえす畳店提供)

地道な畳づくりによって歴史を重ねてきたたかえす畳店。
新たな取り組みを進めるきっかけとなったのは、那覇市の店舗を切り盛りする高江洲周作さんの存在が大きく関わっています。

高校卒業後、福岡県にある高等職業訓練校に進んで畳づくりの道を歩み出した高江洲さん。
福岡市、北九州市の畳店でそれぞれ経験を重ねた後、故郷である宮古島に戻ることになります。

ただ、故郷に戻ってすぐに家業の畳店で仕事を始めたわけではありません。
時折手伝いはするものの、実家と距離を置きながら宮古島で職を転々としながら過ごす日々が続いていました。

そんな高江洲さんですが、ある晩、店の先行きに思い悩む父親の姿を目にします。
「その時の姿がなぜか突き刺さった」と振り返る高江洲さんは、以降、本格的に家業に携わり、父や兄とともに新たな顧客獲得に向けた取り組みに注力するようになります。


【STEP.2】情報発信の延長線上で始めた商品づくり

年末年始の贈答品として制作した「畳カレンダー」(たかえす畳店提供)

顧客獲得に向けた取り組みの1つが、約20年前はまだ珍しかった自前での「情報発信」でした。
現在ほどSNSの活用が広がっていなかった当時、Facebookやブログを中心に日々の出来事を継続的に発信。
さらに、自分たちの店を知ってもらうため地元・宮古島のケーブルテレビ局や新聞社などを活用したPRも推し進めていきました。

積極的なアピールは少しずつ実を結び始め、高江洲さんが家業に戻ってから数年後には新たな顧客を少しずつ得ることに。
畳だけでなく、障子やふすま、網戸も取り扱うようになるなど事業を広げていきました。

自分たちの店を知ってもらう取り組みは、情報発信だけにとどまりません。
年末年始用の贈答品に畳表を活用して制作した「畳カレンダー」は、裏返して玄関マットやござなどにも使えるユニークさもあってSNS上で予想以上の反響を得ることになります。

畳カレンダーの予想外の好評ぶりに「他にも何か作ることはできないか」と考えた高江洲さん。
ちょうどこの頃、那覇市内に新店舗を立ち上げる時期とも重なり、「沖縄らしさ」をより感じられるものとして行き着いたのが「命名畳」が誕生するききっかけとなりました。


【STEP.3】沖縄らしさを凝縮した「元祖」の商品が誕生

沖縄らしさを感じられる色彩と絵柄を表した「命名畳」

命名畳は、子どもの生誕を祝う「命名紙」が由来となっています。
命名紙とは、子どもが誕生した際に作られる名前や生年月日を記したもの。
沖縄では命名祝(ナーフィー祝い)と呼ばれる場で親戚や知人を前に名前をお披露目し、命名紙を渡す風習があります。
渡された命名紙は各家庭の台所や床の間の壁などに貼られ、今でも親戚との結びつきを大切にする沖縄らしさを感じられるものでもあります。

一方で命名札は紙で作られるため、月日が経つと破れたり、色褪せたりすることも珍しくありません。
そんな部分に高江洲さんは目を付け、畳カレンダーをプリントする際にやりとりした知人に声をかけて命名畳の商品化を進めました。

商品化にあたって高江洲さんがこだわったのは、沖縄の伝統的な雰囲気を感じられる鮮明な色彩です。
絵柄は沖縄の伝統的な染物である紅型(びんかた)の作家に依頼。
赤や黄色を基調とした色彩で縁起が良く長寿の意味を持つ鶴や亀、松や竹などをあしらい、赤い縁(ヘリ)を用いて畳店ならではのユニークさを体現しました。

アイデアの具現化までにはそれほど時間はかからず、宴席で知人に意見を聞いた際の評判も上々で「これはイケる」と感じた高江洲さん。
「『命名畳』を画数判断すると縁起がよかった」(高江洲さん)ことにも気づき、意気揚々と売り出すことになりました。


【STEP.4】「ハレの日を祝う畳」がロングセラーに

「命名畳」をアレンジして売り出した刺しゅうバージョン(左)とA4サイズバージョン(右)

縁起を担いだ商品が注目を集めるにはそれほど時間を要しませんでした。
SNSのネタとなる内容を探しながら毎日のように投稿していると、程なくして情報を聞きつけた地元紙に取り上げられる機会が訪れます。

すると、掲載後には朝から晩まで問い合わせの電話が鳴りやまない状況に。
「取材した記者の取り上げ方がよかったのかもしれない」と当時を振り返る高江洲さんですが、一時は製作が追いつかない程の反響に至りました。

その後、A4サイズでコンパクトな大きさのミニ命名畳や福岡での修行時代に出会った知人とともに手がけた刺しゅうバージョンなどレパートリーを広げていきます。
さらに、還暦祝い用のメッセージボードや結婚式用のウェルカムボード、受験合格を祈願した五角形の「合格畳」など、「ハレの日」を彩る品々を次々と生み出していきました。

発売から約10年が経ち、他の畳店でも同様の商品が売られるようになりましたが、「元祖」であるたかえす畳店には現在も毎日のように受注が入るロングセラーとなっています。
日本の住環境に溶け込んできた畳をちょっとしたアイデアによって装いを変え、命名畳は地域の風習に新たな風をもたらしてきました。


【まとめ】「情報発信」と「結びつき」が取り組みの原動力に

「アレンジし過ぎずシンプルにしたことも命名畳が広がる要因になったかも」と語る高江洲さん

宮古島で家業に入った頃から新たなことを次々と仕掛けてきた高江洲さんですが、さまざまなアイデアの具現化には「情報に対するアンテナ」と「人とのつながり」が大きな影響を与えています。

宮古島時代から情報発信に力を入れたのも、当時、大阪の畳店がブログでの発信に力を入れていたことを偶然目にしたことがヒントとなっています。
SNSがそれほど普及していなかった当時、高江洲さんにとってその畳店の姿は斬新で新婚旅行中に実際に店舗に足を運んだほどでした。
「バズらせる」ことを意識し過ぎず、地道に継続的な投稿を続けるその畳店のスタイルは、高江洲さんが命名畳をPRする際のお手本にもなっています。

さらに、命名畳をはじめとする商品を生み出す際には常に知人や同業者といった周囲の存在が原動力となってきました。
命名畳が発売されてからの約10年間には、企画段階にとどまって商品化に至らなかったものもあります。
それでも、高江洲さんは頭の中に浮かんだアイデアを事あるごとに周囲に相談し続けることで1人だけでは難しい取り組みを結実させてきました。

一方で足元では地域の畳店が次々と廃業する状況に直面しています。
たかえす畳店が沖縄本島に進出した約10年間でも、高江洲さんは周囲の同業者が暖簾を畳む姿を目の当たりにしてきました。
積極的な情報発信やアイデアを具現化させる行動力の裏には、将来の生き残りに対するシビアな状況でも「まだまだ掘り起こせることがある」との想いがあります。

「やってくれそうな畳屋さん」を掲げる畳店の挑戦は、地域や業界に対する想いを内に秘めながら次への一歩を少しずつ踏みしめています。
5年後、10年後には、ひょっとすると誰もが驚くような斬新なモノを生み出しているかもしれません。



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