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【問い】どんな作品が好きですか?

みなさんの好きな作品は何ですか?
映画、音楽、小説、マンガなんでもいいです。


そして、なんでその作品が好きなんですか?


ぼくは映画が好きなんですが、
好きな映画監督は誰かなって思った時に、その人の良さをうまく語れない人が多いなって思ったんです。

例えば、
黒沢清、河瀬直美、ジャン・リュック・ゴダール

この人たち好きだけど、何でどうしてと言われてもうまく話せない。

でも、共通してるのは「外面的な表現をする監督」ということ。言い換えると意味付与的ではないというか。


僕らって日常、意思決定や行動の意味を規定されて生きていますよね。


たとえば、
平日は朝9時に出社をしよう。
仕事をサボってはいけません。
物を盗んではいけません。
結婚してる人は、他の人と恋愛してはいけないよね。
お年寄りには席を譲ろう。
タバコは喫煙スペースで吸おう。
雨の日は傘をさそう。

日常の多くの意思決定は、思考によるものではなく「そういうものだから」だ。

朝時間通りに出社しようか、毎日考えて決定しないですもんね。

映画に話を戻すと、多くの物語はお話の進行にしたがって、僕らの感情を誘導してくる。そうしないと、お話を正確に理解できないから。

でもぼくは現実だけでなく映画の中でまで「そういうもの」と決められてしまうのは、すこし疲れる。

だから、「こちらとしては意思はあるけども、とりあえず映像を観てくれよ」というスタイルの監督が好きなのだと思う。映画の中くらい、ぼくの自由にさせてくれと思う。

ジャン・リュック・ゴダール監督の代表作の一つに『気狂いピエロ』という作品がある。

ラスト、主人公は哀れな自爆死をするんだけど、それを観て彼の死を悼む人は誰もいないと思う。
それほど、ただ唐突で荒唐無稽な死だ。

映画の中で人が死んだって、悲しむべきシーンだとは限らない。それはこっちの勝手だ。

河瀬監督の映画は感情のさらけ出しがすごいけど、映画の枠組みを逸脱したさらけ出しなので、ただただすごい。感情を解放している場そのもの、が映し出されている感じ。

黒沢清監督がドキュメンタリー映画の中で言っていた話が印象的だ。

「実際に映っているのは肉体なわけです。文字にすれば人間の心理は書ける。でも誰がどう見ても映っているのは肉体だ。そこに心理が表れていたら、何らかの嘘や欺瞞がある。」(若干言葉が違うかもしれません…)

そう。映画に限らず僕らが見ているのは肉体であり物体であり空間だ。
そこに意味付けをしているのは自分なのであって、そこに意味がくっついているわけではないはずだ。


ぼくは毎日音声配信をして、その台本的なものをnoteに載せたりしている。

好きな映画を思い返してみたときに。
ぼくは外面的な作品を好んでいるにも関わらず、意味付与的な発信に走ってしまいがちなのではないかと感じた。

意味を手放すって難しい。



みなさんにとっての好きな作品がどんなものなのか、よかったら教えてください。


おしゃべり版もあります。
良かったら聴いてみてください。

これを読んでいるってことは、投稿を最後まで読んでくれたってことだね。嬉しい!大好き!