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都市の生存競争

人間が都市の支配者なのか?

私たちは、特別の理由もなく漠然と都市の支配者だと信じている。しかし冷静に考えると、都市には様々な動物が生存しているので、生存競争はあらゆる局面で展開されていて、私たちの街は多くの動物たちが並行して生存競争の世界に生きていると言ってもいいだろう。なぜそんなことを考えるようになったかというと、わが家の近くで最近あまりハトを見かけなくなったからだ。あまり見かけなくなったというのではなくて、つい先日までは公園のベンチに座っている私の足元をたくさんのハトが歩き回っていたが、今はまったくいなくなったのだ。その代わりに、ベンチに座る私の足元ではなく、私が座る公園のベンチを遠巻きにして電信柱や住宅の軒先から、あるいはアンテナの上からカラスが監視しているような気がするのだ。そう思いながら、少し前の、つまり1か月か2カ月前の記憶をたどってみると、ベンチに座る私の周辺には、たくさんのハトが動き回っていたものの、その間をスズメやインコが忙しくハトが残したお菓子の欠片をついばんでいた。

公園のベンチ周りの鳥たちの熾烈な場所争い

そういえばもっと前には、見たこともないきれいな鳥がたくさん、私の座る公園のベンチから少し離れた植込みの辺りで動いていた。こうしてみると、知らぬは私ばかりで、公園のベンチの周りでは、毎日鳥たちの熾烈な場所争いが繰り広げられていたことに気が付いた。確かテレビかユーチューブで、都市のビルの谷間にハヤブサが入り込んで、ハヤブサが定住するにしたがって、他の鳥がいなくなったというニュースを見たような気がする。きっと私たちが住んでいる街でも、いつもそういったことが静かに進行しているのかも知れない。私は鳥のことばかり言っているけれど、都市に住むネズミやヌートリアやその他のげっ歯類、あるいはワニガメなどの間でもやはり激しい生存競争が展開されているのだろう。そんなことを考えていると、やっと私たち人間にもそのような生存競争があるのだろうということに、頭の動きが追い付いてきた。

目指したい生存競争に換わる共生型の新しい人間の社会

例えばテレビやユーチューブで盛んにリクルート関係の会社のコマーシャルが流れるが、このコマーシャルだって、人間の生存競争をサポートするためにやっているのだろう。人間の生存競争は他の動物より少し複雑だ。人間は直接街の中で餌を拾って食べているわけではなく、一応は給料というプロセスを通して日々の食べ物にありついている。あるいは生存競争の状態は生活の質や優越感といった形で現れる。人間の生存競争は、給料やボーナスの多寡であったり、職場の地位であったり、出世の加減であったり、時には勤めている会社そのものが競争の一つの要素だったりする。
それによって、一人一人の生活の質と量が決まってくるのだろう。それにしても、日本という社会は本来農耕社会なので狩猟社会に比べて、生存競争に関してはゆるやかな世界だと思う。それでも近代以降西欧の価値観が流入し、社会基盤の中に生存競争の原理が持ち込まれ、次第に農耕社会特有の共生的な性格が薄くなっていったのかも知れない。私たち日本人としては、西欧型、あるいは大陸タイプの生存競争の原理とは違った新しい共生的な社会の創造を目指してほしいと思う。





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