見出し画像

人間の寿命

同じ動物でも、人間の5倍は生きるモノがいる。

動物の寿命という話になると、細菌やウィルスなどを含めると動物という範疇をどうとらえるかが複雑になるので、とりあえず脊椎動物で考えてみる。一番長生きする動物(脊髄動物)はグリーンランド近くの北極海などに住む「ニシオンデンザメ」だと言われている。400年くらいの寿命があり、大人になるまでに150年ほどかかるらしく、そのことをコペンハーゲン大学などのチームが科学雑誌の「サイエンス」に発表している。
また一番長生きする植物としては、アメリカの「ブリスルコーンパイン」という木の名前が挙げられる。樹齢は実に4000年代の後半とされている。どれほど長生きかということを分かり易く表現すると、エジプトの古王国の時代、ギザのピラミッドが作られた時代には、既にその樹は存在していたことになる。

人生わずか50年から120年に

人間の寿命といえば、「ニシオンデンザメ」や「ブリスルコーンパイン」に比べればわずかなものだが、織田信長の時代には「人生わずか50年」といっていた。それから考えれば最近では、科学的には120歳くらいまで生きられるといった話をよく聞くので、ずいぶん延びたとも言える。実際、100歳を超える老人がたくさんいるので、まもなく120歳まで生きられるというのは、いかにもリアリティがあって、確かにその年齢まで生きられれば嬉しいと思うものだ。しかし人間は単なる年齢だけではなく、どのように生きているかという実体の方がやはり気になる。人は毎年毎年、一つずつ歳を重ねて行くのだから、育ち盛りでない限り誰でも少しずつは老いていく。
それはそれで、また違った美しさや輝き、喜びがあるのだが、うんと歳をとれば喜びよりも体の負担の方が大きくなるものだと思う。私もある年齢の頃から、一昨年より去年、去年より今年と、歩く速度であるとか、どこかの機能が劣化していくのを実感した記憶がある。つまり、友人の家を訪問するのに、だんだん坂を上がるのが厳しく感じるようになったといったようなことだ。もっと若いときは、その差を感じるようになる期間の幅が、例えば10年前と比べればといった程度のものだったのが、歳を得るほどに5年になり、3年になり、ついには1年でその差を感じるようになるのかも知れない。

「健康寿命」は、高齢化社会のこれからの課題

サプリメントの広告で、「健康寿命」という言葉が使われるようになってきた。寝たきりだったり、家でずっと座ったまま衰弱していったり、慢性的に体の不調を訴えている状態などではなく、いわゆる社会的にも存在感が発揮できる健康状態にある期間を「健康寿命」と言うのだろう。ただしこの言葉にはあいまいな部分があり、必ずしも明確な基準が存在しない。そこで私が思うのは、どういう状態を「健康」とみなすかということだ。
私が身の回りにある実際の家庭を見て、その上で理想的な健康状態を挙げると、身体的に健康であるとともに、「穏やかな心の在り方」「家族との円満なコミュニケーション」「親しい人々との交流」「経済的な安定」「自主的な行動性」といったことも外せないような気がする。そうしてみると、心の健康ということは絶対的な前提だが、「健康寿命」を考える場合は、コミュニケーション能力、自主性・自立性、経済的な安定といったことがキーワードになるような気がする。

「健康寿命」を延ばすカギは、「精神力と知力」

歳をとるといろんな機能は衰えるのだが、それをサポートしてくれるのが家族や友人だ。だから、「家族や友人との円滑な関係」は特に大切となる。そこで、家庭や地域との円滑な関係を維持するための「自主性」「コミュニケーション能力」「心の平穏」も大事だと思う。これが維持できれば、かなりの期間にわたって心身の健康状態は維持できるのではないかと思う。
つまりは、「健康寿命」を伸ばすのは、サプリメントで補える体力的の問題ばかりではなく、それを支える「精神力と知力」を育てることが重要な課題だと思うのだ。というのも、私の親しかった人は104歳まで現役で活躍した。偶然その人とは、その人が亡くなる数日前に一緒に食事をしたことがあった。当然戦前から活躍していた立派な人で、食事の際には私が抱えている困難な課題に対して斬新で適切なアドバイスをしてくれた。その人以外にも、私の知人に100歳前後で亡くなった人が数人いる。その人たちに共通していることは、いずれもなくなるまで「精神力と知力」が旺盛な人だった。意外なことだが、「健康寿命」を創るのは結局「精神力と知力」だと思うのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?