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無能の散歩人?

つげ義春という漫画家を知っている?

昔、つげ義春(よしはる)という超現実主義的というか、特異な漫画で一世を風靡した作家がいた。過去形を使ったが、高齢だとは思うが現在も確かご健在で、ただ私は最近の活躍についてはよく知らない。「ねじ式」とか、「赤い花」などが代表作で、とにかく簡単には説明できない不思議な漫画を描く人だった。いろんな評論家が様々に評価していたが、こうした先駆的な手法を創造した人は少なからず否定されるが、つげ義春に関してはそうした批判は少なく、とりあえず彼の作品のインパクトに圧倒されてしまう。私はもう少し彼が無名だった頃からこの作家のファンで、代表作を集めたハードカバーの全集を4度も買ったが、いつも私の部屋に遊びに来た無神経な友人に盗まれた。なるほどこの全集を見ると、思わず盗んでしまいたくなるほどの迫力と魅力があった。また、1990年頃の制作だと思うが、竹中直人・監督・主演で話題となった映画「無能の人」は、つげ義春のやや自伝的な作品の映画化で、この映画もずいぶん話題になった。

彼の漫画に登場する「散歩」に誘われて

この人の漫画では、旅と散歩がしばしばモチーフになっている。私はあまり散歩を楽しむというタイプではなかったが、この人の漫画に登場する散歩を見ていると、散歩というものが、日常を超えた不思議な世界と不用意に出遭わせてくれそうな気分になって、いつの間にか散歩人間になってしまった。実は散歩する場合、ルートを固定化する人と、日替わりでルートを変える人がいる。一般的には毎日同じルートを歩く人が多いのだが、私は日替わり派だった。毎日同じルートを歩くと、ルート沿いに知った人が生まれるし、道で顔を合わすと丁寧に挨拶してくれるので、これはけっこう大きな楽しみだと思う。散歩の途中で喫茶店に入るのは許容される行為なのか、あるいは邪道なのか知らないが、偶然入った喫茶店の娘さんが見目麗しい人だったら、これも楽しみの一つに数えてもいいだろう。いずれにせよ、散歩のルートをルーティン化する人は、散歩の途上で知り合いを増やし、ルート上の人とのコミュニケーションを深めていくことができるという利点がある。

ところが一方、私のような散歩のルートの日替わり派は、毎日ルートが変わるので、新しいモノやコトと出遭う確率はルーティン派よりはいく分高いかもしれない。どこどこの角に新しいネールサロンが開店した、牛丼の店ができるらしい、あの道は道路工事中だったと、多少の話題を家族に提供することができたとしても、世の中それほど毎日新しいニュースや出逢いがあるわけはない。つげ義春が描く散歩なら、形のいい石を道路わきで売っている粋狂な人や、道端で百円玉を投げ合い、ラインに一番近いところに投げられたら勝ちだというゲームに興じる男たち、ぬかるんだ道路を汗だくになりながら悪戦苦闘して渡ろうとしている肥えたおばさんなどと出遭ったりするが、私の日々の散歩は、おおむね退屈なものだった。

私は誰よりも無能な「散歩人」だった

私はそこで、散歩のルートを再検討することにした。とりあえず10パターンくらいいろんなルートを歩いてみて、その中から3つくらいのルートを選んで、その3つを順に散歩する。そうすればこの3つの中に好みのルートが生まれて、やがてそれがルーティンのルートになる。私はこれで大丈夫。我にしては科学的で、私の情緒にも適った最善のルートだと思った。さっそく友人にも話そうと思ったが、ふと考えてみると、それは人が散歩のルートを選ぶごく普通の方法ではないかと気づいた。私は、どうしようもなく無能な散歩人だと自覚した瞬間だった。


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