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 一九八四年 著:ジョージ・オーウェル

 結構長かった。三部構成になっている。主人公はウィンストン・スミスで記録省で口述筆記を行い、過去を捏造している。時代はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの三国が世界の覇権を争ってる時代の事、オセアニアに住むウィンストンは二分間憎悪と呼ばれるテレスクリーンに向かって敵国に憎悪を見せる時に立ち会った二人、ジュリアとオブライエンに興味を持っている。全てが統制された超管理社会のディストピア小説だ。

 ジュリアとはそれなりにロマンスがあった。そこを読んでいる最中は心踊ったが、隠れ家のチャリントンの2階の部屋でウィンストンとジュリアは捕まってしまう。お互い思考犯罪に手を染めていたので愛情省で罰を受ける事になる。ここの描写を読むのが辛かった。第三部である。最後何もかも理性を裏切ってまで懲罰から逃げようとするウィンストンはジュリアを裏切ってしまう。それで愛情省からの再教育は終わり、閑職に戻ったウィンストンは変わり果てたジュリアと再会する。お互いにお互いを裏切った事を告白して最後はオセアニアの軍事的勝利に安堵すると言う終わり方だった。

 ビックブラザーはあなたを見ている。と言う党の完全支配のもと、反逆を企てると言う小説だが党には勝てないで終わるのだ。ニュースピークと言う言語の改竄も行われていて人間が思考力を持たないように言語を削ると言う行為が行われている。ゴールドスタインと言う反逆者の象徴の本を手に入れ、読み耽るのだった。

 全てはチャリントンの店で日記帳を買った日から始まっていた。いつかこの思いをオブライエンに告白したい。党の中枢人物に接触を図ったのが全ての間違いだった。

 人間の愚かさと国家の非道さを克明に描いている。この本が書かれたのは1984年以前の事、きっと将来こんな未来が訪れるのではないか、いや訪れないようにとオーウェルは書いたのだと思う。しかし、中国のような超監視社会やテレスクリーンと言う装置は無いがマイナンバーカードのような物はできつつある。人間の良心まで骨抜きになる戦争がやって来ない保証はどこにもない。

 私は1984年生まれである。だからこの小説を読んでみたかった。思っていた内容とは違ったが、人間の狂気、権力への執着と権力の行使、独裁がいかに危険であるかを啓蒙させる内容の小説だった。人間の愚かさを徹底的に描いている。オーウェルが描いた未来とは違う世界を生きているが、人間は弱く、いつ独裁に身を任せてしまうかわからない。とても意義深い著書だった。

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