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「友達に会いたい」の因数分解




コロナで自粛が続いている。今週から大学も始まった。家にいるとそれなりに楽しい。でも、なんだか楽しくない時もある。そんな感じで少しモヤモヤを感じているのが素直な心情だ。



ツイッターで色々と検索していると、
「友達に会いたい」と言っている人が多かった。



これは自分の友達の範囲内でのことである。自分的には「それって具体的にどゆことなのかな?」と疑問に思ったので少し考えた。



そこで「友達とは」と「会いたいとは」をそれぞれ自分なりに因数分解してみた。



友達とは

友達って何だろう。自分は「親友」「友達」「知り合い」の3つに分類してみた。



自分的に、
親友=会う理由を作ってでも会いたい人
友達=会う理由がなくても会う人
知り合い=会う理由がなかったら合わない人



前提として自分の人に関する考え方は「狭く深く」だ。
これを踏まえて自分的に「友達」は少なくて良いと思っている。一人一人との関係が深いから密に接することができる。自分のキャラを変えずに接することもできるからめっちゃ気が楽だし、居心地がいい。



今回のコロナでこの3つを考える人が多いのではないかと思う。
ってのも、仕事や大学へ行くと会いたくない人にも自然と会ってしまう。でもオンラインになると自分から連絡をしないとダメだ。「電話したから」とか「zoomしたいから」などだ。



こうやって「自分から能動的に連絡すること」が増えると、自然と親友にしか連絡していないことに気づくと思う(自分がそうだから)これが良いとか悪いとかではないが、親友と友達との判断軸を自分なりに言語化できる良い機会だと思う。



会いたいとは

「誰か人と会う」とはどういうことだろうか?その先に何があるのだろうか?



話をするため?
顔を見るため?
共感するため?
目を見るため?
雰囲気を感じるため?
触って感触を感じるため?
笑うため?
アイデアを得たいため?
FBをもらうため?



色々と因数分解していくと、自分的には大きく3つに分けられた。
1つ目、安心感を得るため。
2つ目、所属意識を得るため。
3つ目、承認されるため。



自分だけではこの3つは実感することができない。



自分1人で写真撮ってもそれを見せる人がいない。
自分1人で生活していて家に誰もいない。
自分1人で結果出しても誰も見ていない。



だから「誰かと感情を共有したい」「会いたい」と思うのだと考える。自分がそうだから。


まとめ

「友達に会いたい」の感情を深く掘り下げるとたくさんの理由がある。それはどんなことであって、それによって何が満たされているのかを自分で把握すると他の手段も使える。つまり、何か一つに依存することがない。これからの社会を生きていくためには「自分を知る」ことが一番大切なのかもしれない。

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