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夜にしがみついて(1998〜1999)

ちょっと前、クリープハイプの「ナイトオンザプラネット」がラジオでよくかかっていた。
映画の主題歌だったが、特定の年齢の人間は、心の奥底にしまっていたものを、ぎゅっと掴まれてしまったのではないだろうか。

2022年の私は「エモ」がしんどいと思っていた。

今の私の生活。仕事、子供、受験、家事(最低限の)。

子供のスケジュール管理が大変で、仕事でミスることすらある。心も体も余裕がないから、そこにエモーショナルなものの入る隙はなかった。

テレビの録画をたくさん撮る我が家だけど、1時間のドラマを見るのが、もうつらく、テレ朝やテレ東の深夜のバラエティがちょうどいい尺だなと感じている。

何かを見て心が動かされるのにもエネルギーがいる。
人は忙殺されると、「エモ」から遠ざかるのかもしれない。

20世紀の終わり、今でいうマッチングサイトのようなもので男の人と知り合っていた。インターネット黎明期である。

たいていは、碌でもない感じの人が引っかかったのだけど、1人だけ、「オモシロ」のノリが同じ人とはメッセージのやり取りが続いた。

2人の共通の趣味は、レコファンで安いレコードを漁ることだった。

昭和の歌謡曲のジャケット写真は面白いものも多く、お互いの所有物を見せ合って楽しんでいたが、共同でサイトを作ろうといい、相手の方がサーバーを用意して、私がそこにファイルをアップしていった。

それはカードゲームのようであり、お互いの手持ちのコマ(ジャケ写)で、どのくらいインパクトがあるか勝負する遊びだった。

私たち、二人だけしか見ていないサイト。

まだ「テレホーダイ」があった頃、私たちは23時になると回線を繋いで、メールやICQで連絡を取り合っていた。


その男の人は名前を「しょうたろう」と名乗った。
でも、日によって名乗る名前は違った。

もしかしたら自分の設定をちょいちょい忘れていたのかもしれない。
いずれの名前も「し」から始まっていたので、きっと本名も「し」から始まる名前だったのだろう。
年齢は私より3歳年上だといったが、それも確かめる術はなかった。


ある日、彼から「インドカレーを作るから手伝いに来ないか」と誘われ、代々木駅からほど近いご自宅に伺った。
ずっとネットでしかやり取りをしていなかったので、会うのはその日が初めてだ。

「初対面の男の人の家に上がったらダメだよ」

彼は半笑いでそういうと、玄関で初対面を果たした私を部屋に案内するのだった。

代々木駅徒歩5分、8畳1R。アパートとはいえきれいだったので、家賃も安くなかったのではないか。

電熱線の1口(ひとくち)コンロに鍋を置き、2人で切った野菜や肉を入れていく。

私は料理を全くしないまま成人してしまったので、ほぼ足手纏いになりながら、サフランをほぐす作業などを手伝った。
彼はその様子を見て笑っていた。

「はじめてのインド料理」という本を見ながら、見よう見まねのインドカレー。
中に入っていたシナモンステックの扱いがわからず、頑張って噛み砕こうとした(本当は出していい……はず?)

部屋でご飯を食べた後、電車に乗って渋谷に移動し、洋服を見たり、レコードを見たりした。


当時私は、自分で洋服を作って売る、フリーのデザイナーと並行して、スタイリストをやっていたのだが、彼から洋服作りを依頼され、一緒にオカダヤで生地を選び、私はコートを1着作って渡した。材料費込みで2万円ほどくれた。

2人で会う時はそのコートを着てくれていた。

デートなのかよくわからないお出かけをする週末がしばらく続く。


この年、私にNHKの取材が1ヶ月ほどついていた。
若い人向けの番組で、「好きを仕事にしている人」を紹介するようなもの。

OAのタイミングで、神南の広場でイベントをやっていたので、そこに2人で出かけ、私が出ているVを会場で見ることになった。

写真や映像の写りが悪いことを気にする私に彼は「表に出る人なんだから、写り方をもっと研究したほうがいい」と言った。

そんなアドバイスをこれまでされたことがなくて、目から鱗だったのだが、今でも気をつけていることの一つだ。(いまだに写真写りが悪いけど)

「本名なんだね、名前」

彼はNHKの敷地でクスクスを食べながら私にそう言った。

おそらく彼は、マッチングサイトを利用して知り合った子が、初めから本名フルネームで連絡しているとは思わなかったのだろう。
私には匿名という概念があまりなかった。

ちなみに、この時私は初めてクスクスを食べたのだけど、美味しかったので、これを出している店に入ったら毎回頼むようにしている。
そして食べるたびに、ちょっとだけ、この日のことを思い出している。


二人で、一度だけ映画を観に行った。
渋谷の単館で、ヴィンセント・ギャロの「バッファロー'66」。

ベッドの上の二人が、だんだん近づいていくシーンがとても好きだった。あの、距離が縮まる様(さま)に胸がキュンとする感じ。

彼との間には何もなかった。手を繋ぐことすらも。
2人の関係に名前をつけるべきかどうなのか、悩んだまま、季節は3つほど過ぎた。


彼はIT技術者だったのだが、当時、「2000年問題」が取り沙汰されていた。

仕事が忙しい、というようになった彼からは、だんだん返信が来なくなっていった。

本当に忙しくて返事できないのか、私に飽きてしまったのか、真意が読み取れぬまま、いつしか、二人で作ったあのサイトもなくなっていた。

1999年の大晦日、彼はどうしているだろう、そう思いながら年を越した。

そして2000年問題は、エンジニアの皆さんのおかげなのか、事前に騒がれたほどの混乱が起きることはなかったのだった。


2006年、いろいろあって私は代々木に住んでいた。彼の家とは反対側の、御苑に近いマンションだった。

数年経ってもやはり気になるので、散歩ついでに、彼の家のあったあたりを歩くのだが、あのアパートが見当たらない。

取り壊されて別のマンションになってしまったのだろうか。

何一つ本当のことがわからないまま消えてしまった彼の、唯一のリアルがあるとすれば、私の手元に残っている、バックアップ用にダウンロードした、ジャケ写のデータ。
物理的なものは何一つ残っていないのだ。

彼の家には、私の作ったいくつかの洋服が、まだあるのだろうか。

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