【自己紹介】政治と宗教と野球の話をしよう。

どうもお世話になります。
生来のものぐさと、「いい文章は書き出しで決まる」という誰かのことばが邪魔をして、いつまでも1つ目の投稿ができずにいました。
とはいえ、はじめての投稿なのでやはりぼくの近況と自己紹介、今後何を書いていくかについて書きたいと思います。

1.近況

5月も半ばですが、いかがお過ごしでしょうか。
ぼくは社会人2年目を自宅のベッドの上で迎えました。
年明け頃から持病が悪化して、そこからメンタルも崩れ、働けない状態になっていました。
部屋のベッドのうえで食事も取らず、真っ白な天井に「ないシミ」のかずを数える日々を過ごして、徐々にですが動けるようになりました。
最近では、もうそろそろ仕事にも復帰しようかと考えられる程度に良くなりました。
この数ヶ月は、本を読んだり絵を書いたり木工したり小説を書いたりと、学生時代に部活に追われてできなかったことを少しずつやっていました。

このnoteも、ぼくのことを心配して会おうよと誘ってくれた(意外でした)先輩のすすめから始めるに至りました。

時間のあるいま、心身ともにボロボロになったいまを記録するためになにか形にして残したいと思い、机に向かっています。

2.自己紹介

順番が前後した感が否めないですが、続いて自己紹介を。
23歳会社員(休)の自分を説明するためのルーツをどこまで辿ればいいのか考えたところ、幼少期まで遡らなければいけないことになりました。

幼稚園の頃から自分は工学部に行くと思っていました。幼稚園の卒園文集に書いた夢は「電車をつくるひと」、それが小学生には電車の設計士に変わり、中学の頃には建築士になるという夢に変わっていきました。
どれにしても工学部に入って設計を学ぶものだと思っていました。祖父はその道では結構有名な設計士で、なんとなくの憧れとそれを超えたいという気持ちがあったのかもしれません。

が、結局はぼくは文系に進むことになります。
中高一貫校のカリキュラム上、高2に進級する際のクラス分けで、当時ぼくは理系の特進クラスには入れない成績でした。そのとき文系の特進クラスに入るか理系の一般クラスに入るかの決断を迫られ、前者を選びました。自分は意志が弱かったので、当時はよりレベルの高い環境に身を置かなければ、サボって自分自身を駄目にしてしまうと思っていたからです。
そのときの担任の先生はかなり親身になって面談してくれましたが、工学部しか考えてなかった自分は、「まぁ国語は得意やし、本も好きやから文学部に入って国語の先生にでもなるか〜」と楽観的に考えていました。結果としては、この決断は正解だったと思います。幸運にも自分の学力と身の丈以上の大学に進学でき、高校時代と同じように「より高いレベル」の環境に身を置くことができました。
そんなこんなで僕は文学部に入学したのです。
幼少期から本が好きでした。親からのプレゼントの多くは本か図書券でした。大学でも文学を学ぶつもりだったのですが、紆余曲折あって言語学を学びました。もっとも、大学時代は部活のヨットに明け暮れ、学業もおろそかにしていたので、部活の話だけで卒論も就活も乗り切り、現在の会社に就きました。22歳の新卒で就職することを目標にずっと生き急いできました。
いま振り返れば、学生時代の10年間、最もたくさん本が読める時期に、部活や受験勉強を言い訳にしてほとんど本を読まなかったことが大きな後悔としてあります。

結局、ぼくは本を作る会社に入りました。
少なくともぼくは本を作る会社だと思ってましたし、世間的にも本を作っている会社だと広く認知されていると思います。ぼくは本が作りたくてこの会社にはいったのです。しかし、百年以上の歴史を持つこの巨大な会社には「気づいてしまった」優秀な人がいたのです。

本はもう売れない

かくして、ぼくは本とは無縁のバリバリ理系分野の営業チームに配属されました。会社がこの先の次の百年を生き残っていくための新たなフラッグシップとなりうる新事業のチームです。
やりたいと思っていたことができない&新事業の少数精鋭チームに期待されて入れられたそのプレッシャー&大学時代の終わりごろから発症するようになった奇病への不安で、この1年かなり苦しみました。
通勤時の駅のホームであと一歩踏み出してしまおうかと何度も考えました。
結局、休職という決断で踏みとどまり、いま、ここにいます。

細かい過去の話、いまの話はまた追々書いていきます。
以上がざっと自己紹介になります。

3.このnoteで書くこと

先に、先輩のすすめからこのnoteを始めたと書きました。
また、学生時代に本をあまり読まなかったこと、文学部での学業をおろそかにしていたことも書きました。

この2つがnoteを始めたきっかけです。

特に、文章を受け取ることと発することについては、腐っても文学部ということで、学生時代は多少なりとも文章を読み、書く必要があったわけですが、社会人になったいま、文章を受け取り考えること、考えて発することがかなり少なくなってしまいました。
あるのはビジネス関係を円滑にするためのあたりさわりのない定型のメールや会話ばかり。「人間関係を円滑にするには政治と宗教と野球の話はするな」という先人のことばが体現されていました。
もちろん、ビジネスにはそういったスタンスも必要だとはわかっていますが、そうやって定型のことば=言霊のないことば(言語学を志していた者の発言にふさわしくないかもしれませんが、、、)を使っていると、仮にも文学部で学び、「人間を人間たらしめるのは言語文化だ!」と言っていた自分が陳腐化していってしまうのではないかと感じています。

なのでぼくはここできちんとぼく自身を発していきたいと思います。ありのままの自分で、忖度なしで、反論上等で。
(とはいっても、主に読書録や好きな音楽のこと、映画や自分が手作りしたモノのことが多いと思います。小説も書いて、見てもらえたらいいな。)

コロナ禍で人間関係が希薄になり疎外感を感じる人、精神を病んでしまう人が多いと聞きます。こんな時代だからこそありのままの自分をさらけ出せる場所を作ろう。

「政治と宗教と野球の話をしよう。」

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