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朝に書く夜

到着した半地下カフェのレジカウンターでホットコーヒーのLサイズを注文した。朝の時間帯はMサイズとLサイズの値段が同じで、Mサイズの代金を払って番号札を受け取った。禁煙席エリアに向かうと四隅のテーブル席は既に埋まっていて、壁付けされたカウンター席の端の方に座った。追いかけるようにやってきたウェイターは、水が入ったコップと紙の手拭きをテーブルの上に置いていった。コップの水を一口飲んで椅子に深く座りなおした私は鞄から取り出したテキスト入力マシンのポメラをテーブルの上に開いてタイピングを始めた。

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「しょうがない」という言葉を使うのは、その言葉によって隠されることがあるからで、その隠されることは何なのか観ていくことが必要で、「しょうがない」という言葉を使った私はどうなるのか、どういう気持ちになれるのか、どういう気持ちにならなくて済むのか、私は何を隠そうとしているのか、今までと同じことをまた繰り返すのか。

「しょうがない」ことではないのに、なぜ「しょうがない」と思うのか、「しょうがない」ことではないのだとしたら、どんな思いが私のなかにあるのか、その思いとは何か、「しょうがない」ことではないのだとしたら、どんな思いがあるのか、どんな思いを持っているのか。

その思いを観ていくと、私が思い描く世界がみえて、欲している世界がみえて、命の力を注ぐ世界がみえてくるから、「しょうがない」として目の前のことをやり過ごさないようにして、私には決して「しょうがない」ことではないのだから。

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昨夜は仕事でトラブルがあり、大したトラブルではなかったが、業務に慣れない私は右往左往して職場を出る時間が遅くなった。帰りの電車の乗換駅から続く地下街の定食屋で晩ご飯を食べようと決めて、到着した乗換駅の時計をみると21時40分を少し過ぎたあたりだった。地下街に入ってすぐの場所にある定食屋で注文したコロッケ定食を食べ終わって腕時計をみると22時少し前だった。時間の感覚がわからなくなった私は、腕時計の文字盤をながめて食事にかかった時間を計算した。

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