運と才能と気合と
「結局一人の人間が何かを成し遂げるためには、何が必要なのか」
……ということはよく考えます。
もちろん運もあるのだろうし、才能も重要になってくる。ここぞという時の「何としてでもやり遂げるんだ!」という気合も大切なのだろう。
ただ、『項羽と劉邦』を書くにあたって、いろいろな人物のことを調べていくと、「気合」の占める部分が多いように感じます。
それまで農民だった人たちが、その辺で呑んだくれていたような人たちが、「戦争だ!」という状況になって将軍になったり丞相になったり皇帝になったりする。
「今まで呑んだくれていただけで、気づかなかった才能が戦争によって開花した」
という見方もあるかもしれないけれど、私はやっぱり戦争が始まったことによって本人たちの意識が変わって気合が入った結果功績を残すことができた人が多いのではないかと思う。
最初から才能があったわけではない。
状況に応じて気合を入れた結果、功績が残せた。
だから人間って本当は何にでもなれるのではないかと思います。
その場の状況に合わせて「オンドリャぁ!」と気合を入れて物事に取り組めば、結果が出せる。
才能とは後付け理論でしかなく、本当に何かを成し遂げるのはその場の気合なのかな。
運は後からついてくる。
楚漢戦争の、特に劉邦側の人たちを調べていると、そんな気がしてきます。
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