未完の美学とは
お茶の先生から教えていただいたこと。それは、茶道は、未完成なものを美しいとする文化である。
岡倉天心氏の「茶の本」とは、明治時代、日本の文化を海外に紹介するために、英語で書かれた本である。明治時代は、欧米列国に並ぶために、懸命に戦っていた時代だ。東洋をコケにされたくない、日本の文化の素晴らしさを欧米に知ってもらうために書かれた本、それが「茶の本」である。欧米ではベストセラーとなり、東洋の美意識を伝えることができた。
岡倉天心「茶の本」より。
「茶道の本質は不完全なものへの崇拝で、人生って不可能なものの中で、何か可能なものを成し遂げようとする繊細な試みだ。」とのこと。
深い!茶道の本質は、不完全なのもへの崇拝なのだ。
例えば、咲きかけた花のつぼみを、美しいと感じる。 散りゆく桜の切なさを愛でる。川に落ちた紅葉の葉の美しさを錦と感じる。そんな不完全なものを美しいと感じる心。日本人の感性には確実にあるのだ。
一方、カウンセリングの現場に居て思うこと。完璧でない自分を責めてしまう。できてない他者を、どうしてできないんだと責めてしまう。そしてお互いに、しんどくなってしまう。
完璧主義は、本来の日本文化の美意識から外れてしまっている。
最近思うことがある。どこか、潜在意識に、未完成であることを愛する意識があるからこそ、私はミスをしちゃうのだ。そう思うと、ミスもあって良し、ってそう思ってる。