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本に求めるものは共感か、反論か。

こんばんは♪新しい本棚を買いました♪♪部屋に積み上がっていた本たちがすっきり収まってくれて嬉しい♪♪♪

大好きな『シャーマンキング』もこの通り。今月ついに発売したルヴォ編泣いた~。

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高校まではあまり本を読まなかった私ですが、今では読書大好きです。まさか自分が天井と同じくらいの高さの大きな本棚を買うことになるとは思っていませんでした。

ここまで本が増えたのは、今年から古本屋に通うようになったからだと思います。

読んでいたのは自分好みの本だけ

古本なら定価2000円越えの本が300円で手に入る。コスパ重視の私にとって最高の買い物場所です。

本屋にもよく行きますが、ケチケチの私は本当にほしい!絶対に読みたい!という本以外は新品では買いません。だから、古本に手を出すまでは、確実に面白い、または自分のためになると思う本だけを買って読んでいました。

だから、本は私の代弁者であり、常に私の味方のような存在でした。

しかし、古本を買うようになってからは、常にそうとは限りません。

買う数が多ければ、「ハズレ」も多い。

私は古本屋に行くと、1回で5冊ほど買います。目当ての本を探し求めて行く時もありますが、だいたいは表紙や値段だけ見て衝動買い。安さのあまり、あんまり考えずに買っちゃえ!と踏み切れちゃいます。

だからその分、実際に読んでみたら、思ってたのと違う…ってなることも多い。

小説なら、話の展開が急すぎると感じたり、そもそも内容自体にハマれなかったり…。

そして私が最近よく読むエッセイでも、うーん…と思うことがたくさんあります。

フィクションである小説と違って、作者の考えや思いがそのまま綴られているので、作者がもろに語りかけてくるように感じます。

だから、エッセイを読んでいる時は、「その考えめっちゃ素敵!」と感じるのと同じくらい、「何言ってんだこの人。」と言いたくなる時がたくさんあります。

本とわたしの新しい関係

古本に出会って、自分好みの本以外もたくさん読むようになった今、本は常に自分の味方ではなくなりました。時に、考えを改めてくれる教師のような存在であったり、真逆の意見でぶつかってくる反論者であったり…。

自分と異なる考えや一読では理解しきれない難問に出会った時、「もうこの本はいいや」と読むのをやめようと思う時もあります。だけど、同じページにとどまってじっくり考え始めると、作者と議論しているような気分になり、とても充実した時間を味わえます。

インターネットの普及で、今は見るもの、読むものを選べます。選んでいるつもりはなくても、自動的に表示されるコンテンツが限られてしまっていることも多いです。

知りたくないことは知らないままでいれる世界。便利で幸せかもしれない。

だけど、自分が知っているものがすべてだと勘違いしていたり、もっと面白いものに出会うチャンスを逃したりしているとしたら…?


私はこれからも、読書を通していろんな人の考えに触れていきたいです。

たとえすぐに理解できなくても、本を通してたくさんの人と議論して、自分の考えと向き合っていきたいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

最初は1つの記事を書くだけで3時間近くかかっていたのですが、だんだん文を書くことに抵抗がなくなってきました。楽しい。

ようやくスタートラインに立てたっぽいので、内容と文体も少しずつ成長していきたいです。誤字や変な表現があったらコメントで指摘してくださると助かります。

それじゃ、また!



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