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東京人は旅の恥をかき捨てられない

誰しも世間に見せている飾った自分と、ありのままの自分がいると思う。
ありのままの自分になる瞬間は、精神衛生を保つためにも必要な時間だ。

その手軽な方法が気心の知れた仲間との飲み会だったりスポーツだったり。
中でも最も心躍るのが旅行ではないだろうか。

元々僕は東京人ではない。
だから東京に住んだ最初のころは、東京のどこに行っても旅行のようなものだった。

ところがしばらく東京に住み、そして東京発の旅行へ行くたびに感じたのは、旅の恥は掻き捨てのような概念が薄れてきているということ。

どこに行っても東京人。
同じような年代で同じような旅行予算。
そして同じような情報源から行先を決めた人々が
同じ旅先で過ごしているということを感じてしまった。

検索上位のWebサイトやSNSの人気投稿から情報を得た人々が、
今この空間のお客さんとなっていて、そして間違いなく東京人なんだろうと。

インターネットによって情報収集が簡単になったことで、今までは埋もれていた小さなスポットにも光が当たるようになった。

現地の人しか知らなかったような場所でさえ、東京の誰かが行っているということを調べれば分かるようになってしまった。

「ここはもしかしたら僕たちしか知らない場所かもしれない」
そんなちょっとした独占欲を満たせたのは、すぐにインターネットで他の誰かの行動を調べられなかったからこそ抱けたものでもある。

子供のころ作った秘密基地のように、自分たちだけしか知らない世界があると思えることは心地よい。
もちろん、子供の行動範囲の中で大人が知らないような場所はおそらくないし、旅先での僕らはそんな子供と何ら変わらない。

もはや陸路の数時間で行けてしまう距離は子供の頃のような旅行とはいえず、東京の目が届く場所だと言える。

旅の良いところは「全く共通点のない人々の中に紛れ込むことで心の開放を楽しめること」が一つだと思う。
それがもはや旅先の人たちでさえも、自分とまったく無関係の人ではないと感じてしまっている。

ただこの心境においても、旅の恥は掻き捨ての感をもたせてくれる場合がある。
それは訪日観光客の増加だった。

どの観光地に行っても日本人よりも外国の方が多いような場所もあった。
そして外国人が多いということはそれだけ異国感をもたらし、共通点の少なさを演出してくれる。
さらに言葉がほとんど通じないということは、昔以上に旅の恥を掻き捨てられた可能性すらあった。

旅の恥はかき捨ての感覚は、物理的にも心理的にも東京の目から離れられれば得られるように感じた。

そして今、コロナの自粛時代を過ごしている。

遠方への旅行はできず、外国の方を見ることも少なくなった。
仲のいいメンツと会うどころか、リモートワークで誰とも話さず一週間を終える人もいる。

ありのままの自分になれない時間があまりにも多い。
旅の恥をかき捨てるようなことはしばらくできそうにない。

2人の自分が共存できない現在の東京人は、家にいながら今日も抜けない疲れが襲っているような気がする。

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