見出し画像

瀬戸内海で見つけた光の記憶

2023.01.29 - 2023.01.30

忘れたくない記憶。

自分の道を探しに行った旅で私が見つけたのは、人の温かさと、大切に思う人たちのそばで生きたいという、決意と祈りだった。

______________

下北沢に海を宿しに行った日。あの時、私は確かに何かに導かれていた。

あの日、ずっと憧れていた方々がいる空間に身を置いて、これはもう今岡山に行くしかないと感じてから、もう1ヶ月も経っていることに驚く。

瀬戸内海に足を運ぶことは、ずっと前から私の夢だった。

一度も行ったことがないのに惹かれ続けているのは、写真から感じる瀬戸内海の空気が美しくて、瀬戸内海のそばで生きる人たちの生き方が、言葉が、見ている世界が好きだったからなのかもしれない。

いろんなことを言い訳にして"いつか"に縋っていたけれど、「海を宿す」の企画展のおかげで、今だと強く思えた。

心の底から思い立ったらすぐに行動に移せるところは、数少ない、自分で自分を認められる理由の一つだと思っている。

部活が絶対にないと言い切れる日。
就職活動の面接も、説明会もない日。

ミーティングが入ったらまた一から考え直しだし、本当に行けるかは直前まで分からなかった。

でも、行けた。大丈夫だった。
人生、案外、どうにでもなるしなんとでもなるのだと思う。

瀬戸内海での二日間。
思ったことが、感じたことが、書きたいことが、本当にたくさんある。

初めて来た瀬戸内海は、やっぱり何度揺蕩う光を見ても、波の音を聴いても、ずっと心が揺れていた。
刻一刻と姿を変えていく情景は、終わりのない時間を見ているようだった。

豊島美術館の「母型」という作品の中に身を置いた時、言葉を失った。全てが、全て体に浸透し通り過ぎてゆく感覚。
風、光、水、音、深淵、揺らぎ。
あの空間は、自分と世界を一つにするためにあるのだと思った。

境界線のない風景。
色が溶けて消えていく空、海、山。

本当に美しくて、何度も心が救われた。
でも、この旅で一番私の心が動いたのは、誰かの人の心に触れた時だった。

______________

今回の旅で必ず訪れたいと思っていた場所の一つ、本屋「aru」。

あかしゆかさんが選書した本を、一冊一冊、本当にじっくり読ませていただいた。

初対面でもそうでなくても、人と話すことに苦痛を感じることはないけれど、自分以外の誰かがいる場所で、自分の思い通りに行動することにはいつも少し抵抗があって、周りの目を気にして恥ずかしくなってしまう。

私の今のこの行動は正しいのかな、あの人のこと気にしなくて大丈夫かな、そんなことを頭の隅で常に思ってしまうから、自分のことになかなか集中しきれることがない。

でも、aruは違った。

ゆかさんが、ゆかさんのまま、自分のやるべきことをしていたからなのかもしれない。

私も、私のペースでじっくり、時折海を眺めながら、ただただ、本に触れ続けた。

きっと全ての本に対して、ゆかさんなりの考えがあって、想いがあって、そしてこの場所に集っている。

一つひとつの本と出会っている時、その本がどうして、なぜ本としてこの世界に誕生したのか知りたくて、どうしてこの場所にあるのか知りたくて、あとがきをじっくり読んでいることに気がついた。

私は、多分、どんなことでも背景が知りたいのだと思う。

誰かが何かを選ぶ時、何かを好きだと思う時、それは将来の夢でも、趣味でも、恋人でも、今日食べたいものでもなんでもよくて、ただ、私はどうしてその人がそれを選ぶのか、好きだと思うのかが知りたかった。

ゆかさんが選ぶ本は、どれも穏やかで、静かなのに、熱い何かがあって、生きることを肯定してくれているかのように思えた。

「どこかで会ったことありますか…?」って覚えていてくださったこと。
「就活頑張ってください」って言ってくださったこと。

ゆかさんとの岡山での再会、本たちとの出会い。何も気にせず、ただ、誰かの言葉に、人生に触れていた時間。光に包まれたあの部屋で、遠くに海が見えたこと。

忘れたくないと、心から思う。

泊まる場所は、DENIM HOSTEL float 一択だった。


海が眺められる部屋で時を過ごすということ。
ここで働いている方に出会えるということ。

私にとって瀬戸内海に行くということは、この場所に来るということとほとんど同義だった。

夜ご飯前、部屋を出たら、まんじゅさんが歩いてこちらに来てくれている光景があまりにも現実に思えなくて、ただただ驚いた。

岡山で、また会えるなんて思っていなかった。

岡山に行こうと本気で思えたのは、間違いなく、「海を宿す」の時にまんじゅさんとお話できたことが大きな理由としてある。

年齢が二つしか違わないなんて想像できないほど、ずっと遠くを歩いている人。

きっとこれからも私の憧れであり、目指すべき場所を歩いている人。

岡山でまたお話してくれて、頑張れって肩叩いてくれて、握手できたこと。

嬉しくて、泣きそうだった。


無水チキンカレーとキーマカレーのあいがけカレー / 岩城島レモネード


夜ご飯を食べてる時、だいちさんがたくさん話してくださった。

「海を宿す」の時だいちさんの写真を見て、金融業界から転じてフリーランスカメラマンになって、広告代理店を経てITONAMIでアパレルに携わっていると知り、なんだか嬉しく思ったのを覚えている。

今すぐ写真で生きる勇気のない私にとって、ダイチさんのような経歴の人が、今、私の理想の場所にいることに救われた。

人生は必ずしも一本道じゃなくてもいい、大丈夫だって思えた。

そんなだいちさんが目の前にいて、どうしてそういう経緯になったか忘れてしまったけど、途中からずっと私の人生相談に乗ってくださった。

自分が動きさえすれば、話してみたいと思っていた人と、会えるだけじゃなくてこんなにも話せるのか。
憧れの場所で、憧れの人と時間を過ごせているということが、あまりにも嬉しくて仕方がなかった。

でもそれ以上に、どうしてこんなに親身になって話を聴いてくれるのだろうって、ただそれだけを本当にずっと思っていた。

あの日部屋に戻ってからも、朝起きた時も、東京に帰ってきても、今この瞬間も、そう思う。

初めて会った人間の、ふわふわして曖昧でおぼろげな夢に対して、まっすぐ、誠実に言葉をくださったこと。

あの時間を境目に、まだ答えは出ていないけれど、私が辿り着きたい場所が見えた気がした。

今どういう道を選んだとしても、いつか必ず、私はその場所からの景色が見たい。

途中から住み込みで働くくみこさんが話に参加してくださったり、私の将来を考える上で何か繋がるかもしれない方を紹介してくださったり。

だいちさんとお話したからこそ気づけた、私のこれからに続く一筋の光。

本当に嬉しかった。
いつか還したいと、強く、本当に強く思う。

次にお会いする時には、何倍も成長して帰ってきたい。


岡山に行って最初に訪れたいと思っていたカフェ「belk」は最寄り駅から車で12キロほど山を登ったところにあって、タクシーで行くことにした。運転手のおじさんと絶え間なく会話した。何度も「わざわざここまで来てくれてありがとう」と言ってくれた。

belkがある王子が岳には猫が74匹住んでいて、交代で毎日餌をあげているというおばあちゃんたちに出会っておしゃべりをした。

belkからaruまでは大体歩いて50分ほどの距離にあって、これくらいなら全然歩けるなと思って歩いていたら、「大丈夫か〜?」って、軽トラックを運転するお兄さんが声をかけてくれた。時々歩いてる人見かけるんよって、荷物をわざわざどけて、見ず知らずの私を車に乗せて麓まで送り届けてくれた。名刺を差し出して、何かあったら連絡してねって言ってくれた。

floatで働く草加さんが、floatの施設や部屋について案内してくださった。素敵な人は、空気が、言葉が、目が柔らかくて優しいなと思えた。

豊島で自転車を借りた時、パソコンやら本やらがたくさん入って重い鞄を見たおじちゃんが、「帰りどの港? 時間になったら持っていってあげるよ」って言ってくれて、私は身軽に島を旅できた。帰り際、また来てな、気いつけて帰ってなありがとうって送り出してくれた。

豊島美術館の作品の中にいる時、私と係の方しかいないというなんとも贅沢な空間で、私は閉館ぎりぎりまで陶酔していた。閉館を知らせる時、係の方が、本当に物音ひとつ立てず申し訳なさそうに静かに近づいてくれた。

人口900人ほどの豊島にも中学校があって、体育館の入り口にある数段の階段で談笑している男女中学生たちを見かけた。ランドセルを背負う子供たちと、きっとその子たちのお母さん方を見かけた。
本州と島をつなぐ船に乗るのは、観光客だけじゃなくて、買い物バッグいっぱいに食材を詰める地元の人だっている。
そんな日常の風景が、何より尊かった。 

___________________


一人でいたのに、私のすぐそばには、ほとんどずっと人がいた。

自分と向き合うための旅だったけれど、きっとどこかでは誰かの声を求めていたのだと思う。

だから尚更、誰かにもらう温かさが嬉しくて、どの街にも人が生きているという当たり前の事実が私の心に深く刺さった。

誰かを好きだと思う気持ちは、共にいた時間の長さにも、それまでの関係性にも左右されないのだと思う。



生まれてから21年間、誰と一緒にいても、どれほど幸福でも、ずっと孤独と隣り合わせの人生。

でもずっと、どこかで誰かと繋がっている。


また行きたいと思える場所があるということ。
これからも大事にしたい記憶があるということ。
憧れの人がいるということ。
好きだと感じられる人がいるということ。
また会いたいと思える人がいるということ。

きっとこういうことが幸せということなのだと思う。


私は本当にもう幸せだから、今、幸せだと思えていない人が幸せだと思えるような何かがしたい。

所属している研究会のタームペーパーに、私はこう記載していた。

この旅で見つけた幸せから考えるのなら、私がしたいことは、誰かの記憶のひとかけらを創ることかもしれないと思った。


生きていく中で、辛いことがあっても、あの時の記憶があるから大丈夫。

しんどくても、いつかあの場所に行けることを夢見て頑張れる。

苦しくても、世界のどこかに自分の味方がいる。


人と人を繋いで、誰かが誰かを想う気持ちが循環している空間、何かに対する「好き」が溢れた空間を創りたい。

あなたはあなたのままで大丈夫だと、存在を認める場所を創りたい。

誰にでもある大切な記憶を掬いたい。



大切に思う人のそばで、これからも生きていこうと誓えた二日間。

私の人生にとって、光のような記憶。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?