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事業はめちゃくちゃ伸びても人が辞めた

当時、僕はそれはもうウハウハでした。
自身が責任者を務めていた事業が、暗い闇を抜け、2年連続で140%ほどの成長をしたのです。既に成熟事業と言われ、がんばってやっと110%成長できていたくらいの事業が、突如快進撃を遂げたのです。
しかも、それは偶然ではありませんでした。戦略の定石に則ってしっかりとフォーカスする領域を決め、そこに組織一体となって注力し、課題にぶつかろうともみんなでその打開策を考えながら突破し、まさに狙い通り伸ばすことができたのです。これは事業にとってとても重要なことで、数字なんて外部環境などによってもいくらでも偶発的に伸びることはあるのですが、しっかりと自分含め全員がその爆発的な成長の因果関係を理解できていました。
正直な話、僕は調子に乗っていましたし、慢心もありましたし、「これで自分も立派な事業責任者か」と半ば周囲よりも1段先を行ったような気になっていました。
でも、重要な人たちが次々と辞めると言ってきました

関係性はこれ以上ないほどに良かった

自分で言うのもなんですが、誰よりも自身の事業部のメンバーを大事にしてきたつもりでした。
毎日のようにひざを突き合わせて話し合い、フラットに悩みを打ち明けてくれ、自身も弱みを見せ助けてもらえるような関係性でした。戦略を検討する際には夜中までみんなで真剣ながらも楽しく議論しましたし、事業を推進する際にも阿吽の呼吸で言いたいことややりたいことをお互いに理解し合って最速で実行することができていました。だから、事業が伸びたと思っています。
では、なぜそれでも彼らは退職を告げていったのか?
端的に言うと、僕が彼らのキャリアをつくれなかったからです。

キャリアをつくれなかったとは?

人が「その事業部に居続けたい」と思う理由には様々なものがあると思いますが、僕はそれを「成長環境(=この事業部にいれば若くして戦略検討や組織マネジメントを最前線で実践することができ、成長できる)」に置き、事業部のメンバーにも口酸っぱくそれを訴求してきました。それ自体は別に悪いことだとは今でも思っていませんし、自身がその会社に10年弱ほど在籍したのも、まさにこの「成長環境」でした。ただ問題は、そこに一貫性がなかったことです。
要するに、「もう成長余地はない」と思われても仕方のない状態を作ってしまったのです。「自分たちはすごいんだ」という認知をみんなに持たせ過ぎてしまったのです。本来「成長環境」でキャリアを握るなら、「自分はまだまだだ」と思わせ続けないといけません。例えば、達成難易度が非常に高い目標を追わせ続ける、自ら鬼となり厳しい指摘をし続けるなどです。ただ、僕たちは目標を(別に意図的に過度に低く設定していたわけではないのですが)ハイ達成し続けましたし、僕も上述の通り親友のような信頼関係をみんなと構築し、お互いに弱みを見せ合い助け合う、いわば綱引き関係のない同士のような存在になってしまっていました。別にこれも一概に悪いといいたいわけではありません。ただ、キャリアの握り方との一貫性がなかったということです。

もう1つ、非常に罪深いこと

上記の通り、事業のトップとして重要なメンバーを退職に至らせてしまうのは罪深いことですが、もう1つ、事業というよりは全社として罪深いことを僕はしていました。それは、他事業部への異動、いわゆるジョブローテーションを積極的にさせなかったことです。
本来会社が多角化して複数の事業があれば、1つの事業で上記のようにある種「こなれてしまった」状態になっても、他事業部へ異動し、フレッシュな環境で新たな挑戦をすれば、それなりに成長環境を実感することができます。過去、多くの退職目前だった人たちが、ジョブローテーションをしたことで辞めなかった(恐らくそれで9割は辞めていない)シーンを目の当たりにしてきました。そのくらい、「退職しそうになったらジョブローテーション」というのは非常に有効な打ち手ですし、優秀なメンバーであれば異動先でも活躍するので、全社にとってはそれが最適解に決まっているわけです。
なのに、僕は自分の重要なメンバーを自身の事業部に留めるというエゴを押し通し、彼らに退職意向が見えても中々積極的に他事業部への進言を行いませんでした。何とか自身の事業部に残そうと、残せると思ってしまっていました。結果会社そのものからの流出を許し、罪を重ねてしまったわけです。

絶好調な時こそ。そして絶不調なときこそ。

業績が悪いときに人が辞めやすいとはよく言いますし、想像にも難くないと思います。ただ、業績が良くてもしっかりとキャリアを作れないと人は辞めます。すべてが絶好調だと思ったその時こそ、注意が必要です。組織の一体感や、みんなで考えた戦略、何より自分にとっても最大のモチベーションの源泉だった大事な仲間たちを失い、事業が崩壊していくこの出来事は、僕の事業責任者としてのキャリアの中における最大の反省であり、今も背負い続ける十字架です。これを1つのきっかけに僕は一度事業責任者としてのキャリアを終え、気持ちの切り替えが必要な期間がありました。ただ、やはりまた挑戦してみたくて、今度はいつまでも続く事業や組織をつくりたくて、少し形は違えど、また一歩を踏み出しています。でないと、いろんなものを犠牲にして得られた教訓を活かす場がなくなりますし、過去様々な困難と相対してきた中で、自分の強みは投げ出さなかったことしかないので、ここで挑戦しないと過去の全てを否定することになってしまうからです。幸いこの後に経験した「人事部」での経験で、上記の気づきや学び含めて本当にたくさんのことを学び、次の挑戦に活かすことができています。
全てが絶不調だと思ったその時こそ、それを教訓にして、更なる高みへ挑戦するような経営者であり続けたいと思います。


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