【世界一周・旅のカケラ #13】旅先の恋、2度目の別れ
ジョンと出逢ってしまってからも、私は私の旅をまっとうしようとしていた。
※ジョンって誰?という方はこちらから(↓)
出逢った途端に別れを意識する、これが旅の出逢いなのだ、少なくともほとんどが。
それが痛いほどわかっていたからこそ、私たちは自分たちに集中した。ほかの旅人との交流もそこそこに、行動範囲も広げずランバトリー界隈で生息し続けた。
そこはまるで私たちだけのために存在する、甘い巣のようでもある。
生息し続けた、と書いたけれどその期間は決して長く続かなかった。
私はこれから途方もない世界一周の旅が待っており、情報収集するためだけにここにいて、彼はその前の寄港地である日本から送ったバイクが届くのを待つためだけに、そこにいた。
その奇跡のような2人のパスの交差が、たまたまバンコクで起きたのだ。
その期間も、2人の今後も、私たちですら知りようがなかった。
きっと私たちはそれぞれが困惑していたのだと思う。予期せぬ出逢いに、ここまで心を持っていかれたことに…。
「旅を続ける」ことと「もっと一緒にいたい」気持ちは、決して相いれないように思われたから。
私たちは一度離れ、再開した。それは私が決めていたカンボジア旅のとき(↓)。
でも彼のバイクが届き、メンテナンスに追われる日々を過ごした後、私たちの一緒にいられる時間は正式に終わりを迎えてしまった。
最後の夜は私たちのお気に入り、ガソスタバー(閉店したガソリンスタンドを使ったバー)で、チャンビールの大ボトル3本でほろ酔いに。
たくさんたくさん語ったけれど、お互いの目的はひとつ、明日に控える別れを意識しないためだった。
「チャンビールはアルコール度数が強く、しかもほかのビールよりリーズナブルなので手っ取り早く酔っ払いたいときに飲む」と以前書いたけれど、その夜はまさにそんな気分だったのだ。
バンコクに何百もある宿の中、お互いを引き寄せたあの夜から、隣同士の部屋で暮らせた奇跡のような時間に感謝した。
*
翌朝、いつもの食堂に最後の朝食を食べに行ってから、次の目的地へ向けた準備をそれぞれが慌ただしく始める。
303号と304号の2人の部屋、いろんな気持ちで行き来した。
どちらもどんどん片づけられて空っぽになる。あまり見ていると泣けてくるので、そそくさと下へ降りた。
最後にランチ、そしてジョンがずっと私を連れて行きたいと言ってくれていた、ある場所に連れ出してくれると言う。
彼がこの後、東南アジアを回るその同じ600ccのバイクで。
どんだけ特別な場所なのだろうと期待していたら、なんと普通の公園(ただし大きい!)で拍子抜けしたけれど。ここが彼が私を連れて行きたかった場所なんだ、そう思うとぐんとありがたみが増す。
ただ芝生にごろごろしていつものようにおしゃべりをし、手紙やプレゼントを交換し、ビデオを撮ったりした。
無情にも時間が来て、私たちはまさに「とぼとぼ」と宿に戻った。
*
先に出発するのは私の方だった。
パンガン島というフルムーンパーティーに行くため、その迎えのバスが宿の近くから出ることになっている。
6時の出発だけれど、これもタイタイム(タイに流れる時間)、結局2時間ほど待った。
彼も一緒にいつ来るかわからないバスを待ってくれたけど、二人とももう口数も少なく、胸が体が張り裂けそうだ。
最後だというのも、そして今後それぞれがまた別の新しい経験をどんどん重ね、これほどの出逢いさえもきっと薄れていくのだろう事実が、余計悲しくさせる。
ときが来て、私はバスに乗り込む。
いつもおちゃらけた彼が、珍しくまじめな顔をしてガラス越しに「I LIKE YOU」、そして「ここから」と言ってハートを指した。
彼はそして最後、私の顔を見ずにさっと去ってしまい、バスに取り残された私はただしばらく呆然と前を向いて、溢れ出る涙をどうすることもできずに座っていた。
*
コパンガンへ向かう、浮かれた人たちを横目に…。
彼のビザは明日で切れる、いずれにしても一度タイを出なければいけなかったから、私は同じ日に出発した。これで良かった。
お互いが旅に流れる時間のかけがえのなさを知っていたし、そうじゃなければ私たちの関係はここまで急速に進まなかったかもしれない。
短過ぎたけど、出会えて良かった。
簡単に「またね」と言えないのは、好きになり過ぎて適当な言葉で流せなかったから。
でも出発したときはひとりだった、そのときの想いを遂行したい。とりあえず今は、そう思う。
ジョン、出逢ってくれて、私を見つけてくれてありがとう。
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