【追憶の旅エッセイ #52】私はここを出ることにした。さよならへ向かう日々
バンクーバーへはなんとなく思っていた通り、数ヶ月の滞在になった。
これは、私のカナダでのワーホリ目的のひとつ、オーロラを見に行くタイミングに合わせて、である。
クリスマス年越しを、思いのほか素晴らしい仲間たちと過ごせたし、ありがたいことに彼らにはバンクーバーに留まることを強くすすめてもらったけれど。
私にとってそれくらいの出会いができたことで、もう十分にお腹がいっぱい。これ以上膨れて埋もれてしまう前に、ここを出なくっちゃ。
彼らは「寂しい寂しい」と言いながらも、盛大な送別会を開いてくれた。この頃にはそれぞれの暮らしがあり、仕事もあり忙しい中、一品ずつ持ち寄って私を心も体も幸せに満たしてくれた。
私も、出ると決めてバスのチケットを買ってから、実感の重みが増した。
いつものメンバーといつもの場所、いつもの店、いつもの、いつもの…。
たった数ヶ月の滞在で、そう認識し合える人々と関係を築けたこと。そして数えきれない思い出を一緒に作ったことは、まったくの幸運だったと思う。
小さいバンクーバーという街のそこかしこに私の、そして私たちの居場所をコツコツと作った、ただそれだけの日々だった。それは旅立ってしまうともう戻れない、取り返せないものだとわかりつつも、止めることなく。
最後の一週間ほどはカウントダウンの日々で、周りには決して言わなかったけれど(言ったら引き止められちゃう)、本当は私の心はドーナツの穴みたいにくり抜かれた空洞を抱えているようだった。
ただ出発前になると、あの人とこの人とも会っておきたい、あそこへも最後行っておこうと、声がかかったりかけたりと思いがけない予定で、私の少ない時間はぎゅうぎゅうに埋まっていく。寂しさに浸る間も与えてもらえないほどに…。
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そんな中、出発日は待ったなしで訪れた。
当日にはC宿のメンバーだけでなく、オーストラリア時代からの私の旅の伝道師、ミチルさんも合流して一緒に見送ってくれることに。彼女も私のバンクーバー生活を彩ってくれた大切な友人のひとりだから。
C宿から車で連れて行ってくれた人、長距離バス停で待っていてくれた人、とにかく私の出発前に一目会いたいと、集まってくれた。その気持ちを受け取る私のキャパがパンクして、もう胸いっぱいで今にも泣きそうになる。
しかも皆、思い思いに選別や手紙(!)などを用意してくれて、私は「ありがとう」をただ繰り返すだけで…。
いよいよ出発のとき。
私はオーロラを目指し、北へ向かうグレイハウンド(カナダの大手長距離バス)に乗り込む。
楽しいことだけじゃない、何度も言い合いだってした、嫌な気持ちにだってなったこともあるけど、それは密な時間を共有した証。
皆がこちらを見て手を振り続けてくれている。
今日も明日もまた会えるような、見慣れた笑顔で。本当はもう明日はない、そのことはでも考えないように、今は私も満面の笑みで手を振り返し続ける。
それだけがこの瞬間にできた、私のありがとうの最大のカタチ。
時間が来て、バスは出発した。
皆の顔が見えなくなってから、私は号泣した。
些細な日常の思い出から、一緒に遠出した思い出、クリスマスやお正月を過ごした思い出まで、それこそ走馬灯のように次々と私の頭を掠めていくから。
しんとしたバスの中でひとり、息を潜めて、号泣していた。
たまたまこの時期に、たまたまそこにいて、たまたま仲良くなる確率って、だってどれほどの奇跡よ、ってこういう大きな別れの後いつも思う。
すべては、微妙な条件にもかかわらずなぜか心惹かれた、C宿にチェックインを決めたことから始まったのだ。
その不思議を思いながら、バンクーバーの街をいよいよ出る長距離バスの中で、私はまだ号泣していた。
◆旅帖より◆
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