#92 義務感と使命感
ある人が、ヨーロッパに旅行に行きました。レンガ職人がいたので「何をしているのですか?」と尋ねると職人は、ぶっきらぼうに「見たら分かるだろう、レンガを積んでいるんだ」と答えました。つまりこの人は、1日の日当、賃金をもらうためにレンガを積むという「義務感」で仕事をしているわけです。
しばらく歩いていくと、またレンガ職人と会いました。同じように尋ねました。「何をしているのですか?」職人は目を輝かせながら言いました、「ワシはな、ここに壮大な寺院を造っているんだ」この職人は、寺院を造るという夢、目標、壮大なロマンに向かって仕事をしている、これが「使命感」です。受け身でただ何となく仕事をしていては、この使命感を持つことはできません。「世の中の人に快適な幸せをもたらすために私は仕事をするのだ」という主体的な考え方ができないと使命感を持つことは難しいと思います。
さて、先生と呼ばれている学校の教員が最初のレンガ職人のような考え方で仕事をしていたら、子どもも保護者もたまったものではありません。では教員はどのような使命感を持てばいいのでしょうか。私はこのようにとらえています。私たちの仕事は、「教育の力で未来を創る」ことだと思います。そのためには、未来に向かってあらゆる分野の人材を育成し輩出していくことだと考えています。人々に感動を与える作品を作る感性の人、世の中の様々な課題を解決するために東奔西走する行動の人、新しい技術や製品を開発する技術者や科学者、人のためにサービスする人、食料を生産する人などです。これらの人々の基盤となるものの考え方、とらえ方、取り組む姿勢などは、すべて学校の教室で培われるものだと思います。教員の仕事の意味を私はこうとらえていました。いや、もしかすると、私たちは日本を超えて人類的課題に将来挑戦していくような人材を育てているのかもしれません。
そう考えると、教室で展開される授業の中で、子どもたちの知的好奇心を刺激し、問題意識を持ち、自力解決できるように育てていくことが、日本の将来の発展のため、世界のためにいかに重要なことかわかってくると思います。
そのような使命感に立って子どもの指導に当たるとしたら、同じ教科書の中身を教えるにしても、教え方や熱の入れ方が自然と変わってくるのではないでしょうか。自分の仕事を社会との関連でとらえていくことで使命感が生まれ、その使命感を持って仕事に当たっていったその先に心の中に湧いてくるのが、自分の仕事に対する「誇り」だと私は思います。これは一つの理想かもしれませんが、自分の仕事に誇りを持てることは、生きていくうえで大切なことだと思います。それは充実した人生を歩んでいくためには不可欠な要素だと思うからです。
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