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放送大学に入学して「小学校プログラミング教育概論」という講義を受けたら文部科学省主導でとんでもない差別が行われていると知った話

前提

私は修士号を取得した千歳科学技術大学在学中の指導教官である川辺豊から最終的に以下の発言を受けるに至っている

「何が差別に当たるのかの統一的・具体的な定義は困難。従って私が君を差別したという指摘には当たらない。君が私から差別されたと感じているのはただの君の主観に過ぎない」

もはや空気を読んでそれが差別であることに沈黙するメリットは私には皆無になったので空気を読まずそれが差別であればどんどん指摘していくことにする。何が差別に当たるのかがわからないなどと京都大学で修士取って大阪大学で博士とって理系の教授職にまで上り詰めた人物に言われてしまうのであれば、もはや差別について沈黙するのはデメリットしかない上に明確な悪である

話を放送大学に戻そう

私は将来脱サラして小学生にプログラミング教える塾をやりたいなとか考えているので、なんとなく放送大学の「小学校プログラミング教育概論」という講義を聴講することにした

授業内容自体にもかなり不満があるのだが、この講義には重大な問題がある

途中に何度も実際の授業風景と称して小学生がいろいろなプログラミングに取り組む風景の映像が流れるのだが、なんとその中に一度も車椅子の人物のような障害者が映っている映像が流れていないのである

この大学の講義で用いられる、小学校の授業風景に障害者が一切映っていないという事実は普通学級に障害者は不要であるという文部科学省からの差別のメッセージに他ならない

障害者を特別養護学校に押し込んで排除し、健常者様だけで普通学級を運営することの問題点ははっきり言って非常にクリティカルなものである

つまり、義務教育課程で健常者様が障害者と触れ合うことで現実を知る機会が完全に消失してしまうのである。文部科学省主導で健常者様の世界には障害者は不要であるというメッセージを発し、健常者様が障害者の事情を知る機会をむしろ国主導でオミットしているのである

そして、障害者の排除された「きれいな世界」で学校教育を終えた人物がそのまま大学に入学し、当然そこにも障害者なんて一人もおらず、障害者の事情など知る機会もないまま健常者様は社会に出ていくのである

挙げ句、学校教育から障害者を排除し、障害者は特別養護学校に隠すのが「配慮」だと文部科学省に思い込まされた人物がそのまま官僚になり国主導での差別を再生産するという機構が完成している

これは本当に重大である。文部科学省が出していると思われる小学校の授業風景の参考映像に障害者が一人も映っていないという事実には本当に重大な問題がある

障害者を特別養護学校に隠すのは「配慮」ではない。ただの普通学級からの障害者の排除という差別に過ぎない

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