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『天気の子』が般若心経な3つの理由


いつの時代にも仏教通は存在する

いつの時代も、仏教を伝道する著名人は存在していて、みうらじゅん氏・いとうせいこう氏の「見仏記」は誰もが知るところだし、「笑い飯」の哲夫氏はサタデー・ナイト仏教というラジオ番組を持っていたりする。少し調べてみると、エッこの人も仏教通なのか!という有名人は何人もいて、いつの時代も一定数の方は仏教に強い興味・関心を示していることがわかる。

新海誠は令和時代の<仏教伝道者>だ
そんな中、とてつもない影響力を持った伝道者がまさに彗星の如く現れた。『君の名は。』『天気の子』で知られる映画監督の新海誠氏である。
過去作『星を追う子ども』ヒットの際の舞台挨拶では

 単純に2時間観てエンターテイメントとして楽しめるということは大前提で、仰るように薬が効くように効く、生きてみようという気持ちになる作品にしたかったんですね。ちょっと例えとして分かりにくいかも知れませんけど、大乗仏教と上座部仏教ってありますよね。僕は『秒速5センチメートル』というのは上座部仏教的なものだったんじゃないのかなと思うんです。一部の能動的な人が映画の世界の中に積極的に降りていって、豊かな何かを引っ張り出してくるのが『秒速』だった。でも、僕は『星を追う子ども』は大乗的なものにしたかったんですね。たくさんの人がそこに乗れて、必要なメッセージを与えられる作品にしたかったんです。

と語っていて、これが明白な1つめの理由だ。仏教のフレームを明言している。そして『君の名は。』でも、神社や御神体といった装置が重要な役割を担っていたりと、新海作品の世界観には日本の伝統的な信仰や習俗が大きく横たわっている。では最新作『天気の子』では、どのあたりが仏教なのか?以下に解説していこう。

大丈夫、という世界観がまさに般若心経<※ネタバレ含む>
主人公の高校1年生・森嶋帆高(もりしま ほだか)は家出し、ヒロインである天野陽菜(あまの ひな)に出会う。「お盆」や「彼岸」といった仏教由来のフレームや、「高天原(たかまがはら)」といった神道の思想、つまりそれら日本の伝統的なものをトリガーとしながら物語は進み、終盤に2人は「決定的に、世界のかたちを変えて」しまう。その判断が正しかったのか否か?自問自答する日々を経て、3年後に再び2人は再会を果たすわけだが、そこで主人公が手に入れたのは、「陽菜さん、僕たちは大丈夫だ」という確信である。なんだこの作品は!まさか般若心経のアニメ映画だったとはっ!!

そもそも般若心経って?
何を言っているか解らない!とお嘆きの読者に説明すると、般若心経は現代の日本でもっともポピュラーなお経(仏教経典)。たった276文字の中に真理が書かれているとされ、それこそいつの時代にも、いろんな人が翻訳・超訳・意訳をして、大型書店に行けば般若心経にまつわる本はそれこそウンザリするほど出版されている。近年SNSでバズった現代語訳をみてみると、

ほらね!!
最後のところ!

大丈夫って言ってる!!!!!!!

これが紛れも無く2つ目の理由だ!

悩んで、最後に、大丈夫!って、映画のストーリーまんま般若心経!

筆者はこの映画を、坊さん仲間で観に行ったわけだが、皆、同じ感想を抱いたに違いない(多分)。この映画は、仏教、ことには般若心経の布教目的に作られたのだと。これは「仏教者だから何でもそのバイアスで見ちゃうんでしょ」の度を越えている。明らかだ。

3つ目の理由は<生きていこうと思える>こと
劇場公開ひとつきを過ぎていたが、映画館は満席だった。物語中盤から、客席からはすすり泣く音が聞こえ始め、エンドロールが終わってあたりを見回すと、ハンカチで目頭を押さえている人の何と多いことか。数人で来ている観客はみな口々に感想を述べ合い、一人で来ている人も、出口に向かう頃にはどことなく背筋が伸びているように見える。そう、そしてだれもが、映画館の外で、空を見上げるのだ。観たあとに、なにかスッキリする。そしてまた生きていこうと思える。

不思議と、般若心経もそうだ。よく判らなかったとしても、唱えて、唱えて、唱えて、唱え終わった頃には、どこかスッキリしている。そしてまた生きていこうと思える。これは不思議なことではあるけれど、体感したものには確かな手ごたえとして残る、3つ目の理由だ。

はたして『天気の子』を観て涙する人のうち、どれほどの人が、仏教の・こと般若心経の教えに涙しているのだと、気付くだろうか。
いや、ことさら気付く必要もないのかもしれない。それほどまでに新海誠監督は巧妙に、自身の作品に仏教を織り込んでいる。
次回作ははたしてどんな物語になるのか。はやくも待ち遠しくてたまらないのは、私だけではないはずだ。

Text by 中島光信(僧侶・ファシリテーター)

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