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クラウドファンディングの重み

はじめてクラウドファンディングを実施した。これまで幾度となく支援者としてプロジェクトを支援したことはあったけれど、自分が実施するのははじめて。数ヶ月かけて仲間たちと議論し、運営業者と作成から公開まで細かな調整を重ねた。

立ち上げたプロジェクトはこちら。

筆者の寺に続く風習をドキュメンタリー映画にしよう!というもので、運営業者とのやりとりでネックになったのは、このプロジェクトが「宗教行為にあたるかどうか?」だった。クラウドファンディング大手の注意書きを見てみると、「宗教行為・勧誘行為の禁止」を明記しているところが多く、それはそれで頷けるものだが、この映画製作に対し「これは宗教行為ですか?」と問い質されたのには参った。

そんなこんなで実施にこぎつけ、無事に公開でき、【ドキュメンタリー映画『旅する不動明王』制作プロジェクト】は、おかげさまで目標金額を大きく上回る支援を賜ることができた。

なかでも印象的だったのは、ある女性からの1本の電話だった。

その方は米軍基地のある町の住まいで、上空を飛行機が飛ぶと電波が乱れて電話が途切れ途切れになる、とまずその不調をひらに謝っておられた。その口ぶりからとても丁寧な方であることが伺えた。

その方の言うには、

2ヶ月の入院を経て、現在は自宅に戻ってきているが、また入院が必要だという。けれどもう入院はしたくない。入院費をなにか社会的に意義のある使い道に充てることはできないだろうか?そんな折、出先の映画館でこの『旅する不動明王』のチラシを見つけ、いたく感心をもった。けれど真偽の程がわからない。怪しい団体かもしれないので、何段階にもわたって探りをいれ、今回勇気を振り絞って電話した。

との旨。結果その方はいたく喜ばれ、「まさかご住職様(筆者)とお話しできるなんて。力が湧いてくるようです」と実際に電話をとった20分前とは別人のような声の張りで、漲るお気持ちを受け取ってそのお電話を切った。

他にも「年金暮らしなので、わずかですが」とメッセージを添えて下さる方もいらして、そういう声を聞くにつれ、思い改めたことがある。

それは、クラウドファンディングのプロジェクトは「お金を集める」ものではなく、「お金とそこに託された想いを、お預かりする」ものなのだということ。

多くの方からお寄せいただいた支援とコメントは本当に精神的にも支えになったし、翻って、人が助けて欲しいときには助けるように、声をかけてあげられるようになろう。と、自分事として体験したときに、はじめて実感したのだった。

製作チーム一同、支援者皆様から託された想いを旨に、完成に向けて励む。


Text by 中島 光信(僧侶/映画『旅する不動明王』監督)



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