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10年前の3.11を想う

この記事を公開する2021年3月11日、東日本大震災から10年を迎えた。
復興も、われわれの感情も、時間で区切ることなどできないが、それでも「10年」という大きな月日が流れた。お亡くなりになられた方々のご冥福をあらためてお祈りし、ご遺族の安寧と1日も早い復興を、心よりお祈り申し上げたい。

 *  *  *

10年前の今日も、筆者(僧侶)はここ神奈川県川崎市の寺にいた。

凄まじい揺れに建物から飛び出すと、石灯籠がぐらぐらと揺れ、母は立っていられず地面に手をつき、皆で顔を引きつらせながら止むのを待った。
幸いにして寺に大きな被害は無かった。出先の会議から住職が帰ってきて、一緒にテレビを見た。恐ろしい光景は未だ脳裏に焼きついている。

数日して、僧侶の仲間が動き出していた。お弔いに赴く者もいれば、数人でボランティアに向かう者もいた。トラックで物資を運ぶ者もいた。


「私には何ができるか、この場所で何ができるか?」何人もに相談するうち、当時、東京ボランティア・市民活動センターに勤務していた友人から、ある話を聞いた。

「震災ボランティアに赴いた人たちが、バーンアウトしたり、PTSDを発症したりしているが、そのケアまで手が回っていない」という。

それならばと、支援者支援という形で、震災ボランティアの方々に寺を開放しようと試みた。その時のログは今もわずかに確認する事ができる。

こころのお堂
https://twitter.com/kokorono_odou
http://www.indranet.jp/syuenren/HPpast/110501.html

この「こころのお堂」には、連日人が訪れた。
話をしていく人もいれば、本堂でじっとお経をきいている人もいた。

ある男性を、印象深く記憶している。

その方は、開催初日に足を運んでくださった方で、東京が住まい。被災地のボランティアに駆けつけたが、現地と東京の会社の温度差に茫然自失していた。しばらくの時間を本堂で過ごし、そして話をした。
その方はその後も数年間、フとした時にお参りにみえるようになった。

もう何年もお会いする機会は無かったが、今年の1月、久しぶりにその方が寺を訪ねてくださった。結婚し、子供が大きくなったという。晴れやかなお顔で、恰幅もよくなったようだった。境内で、10年前の話、その後のお互いの話をした。

2011年のあの日、繋げなかったいのちもあれば、かたちを変えて繋がっていく想いもあり、また、新しいいのちの繋がりも確実に芽生えていた。

 *  *  *

気づけば10年という歳月である。それぞれの歩みの中で日々は変化し、それぞれが当時とは異なる境涯に身を置いていて、この年月は簡単には語れるものではない。

本日、午後2時46分の法要には、近所の3人の方が参列された。

「実家が福島でね。まだ手付かず。グチャグチャですよ。」

と語った。もう10年、だが同時に、まだ10年なのだ。

当WORKSHOP AIDの震災当時(2011~12年)の活動はこちら
https://workshopaid.wixsite.com/workshopaid/donation


Text by 中島光信(僧侶・ファシリテーター)


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