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「部下に嫌われてもいい」は本当か?

先日、チームのリーダーと面談をした時、「別に部下に嫌われても良くないですか?」という発言があった。

きっかけは、リーダーが部下に対して厳しめのフィードバックを行っており、その言い方を注意したことで冒頭の質問に繋がった。

恐らく、「結果を出すために厳しく接することは必要」という意味だと思うが、何か引っ掛かるものがあった。

正しいことを言って嫌われても良いのか?


部下を育成する上で、間違った考え方や仕事の進め方をしていた時は指導する必要がある。しかし、指導の仕方は適切な対応をしなければならない。

極論だが、正しいことを伝える為に良い大人が怒鳴り散らかしても伝わる物も伝わらない。
場合に応じて厳しさは必要になるが、普段から「どうすれば伝わるのか」を意識して言葉遣いを選ぶ必要がある。

厳しさが先か、信頼関係が先か

僕個人として、信頼関係が先だと思っている。

自分の経験では、先輩から厳しく指導を受けたから成長できたと思う節はある。しかしこれは、僕と先輩の性格や境遇、その当時の環境など様々な要因が重なった結果だと思っている。

そのため、万人に共通するケースではない。
最大公約数的に考えると、信頼関係を築いてから接し方を調整した方が、その後の結果を生みやすいと思う。

仕事としての好き嫌いと、人としての好き嫌い

意外と仕事と人間性を混ぜて、好き嫌いを考えている人はいると思う。
お互いに仕事をする上で信頼関係があれば、人として相容れなくても問題はないと思うが、なぜか一緒くたになる。

一定数この手の考えの人は存在しており、一度嫌われてしまうと仕事上の信頼関係も損なわれてしまう。

そのため、部下育成の段階で仕事と人間性を分けて考えるように指導する事が必要だと感じる。

正直、僕自身も苦手な部下はいる。仕事後に二人で飲みに行くことは絶対にない。ただ、仕事上では絶対的な信頼をおいており、組織の二番手を任せている。結局、仕事をしにきているのだから、人としての好き嫌いは二の次でいい。

前後の文脈による

言葉にして考えていくと、今回の部下もどのような文脈で「嫌われてもいい」と発言したのか深掘りする必要はあったなと感じる。

ただ自分の成果だけなのか、組織の成果を見越した発言なのか。

それぞれに仕事に対しての哲学があるため、普段からどう考えて指導にあたっているのか、もっと深掘りをしていきたいと思う。

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