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『目的』を理解して『自由』に学ぶ(学問のすすめ)

はじめに(いつも書いてること)

このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。

※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。

今回の内容

『学問のすすめ』から、『自由』と『目的』について学びました。

『自由』について

全ての人に自由があり、その背景には責任がある。・・・この内容は、全ての人にとって重要なことだと思っているので、備忘録として残しておきます。

アメリカのウェーランドという人が書いた『モラル・サイエンス』という本の中に、人間の心身の自由を論じたところがある。人間の身体は、他人と離れて一個独立しており、自分自身でその身体を取り扱い、自分自身でその心を用い、自分で自分を支配して、するべき仕事をするようにできている。
第一に、人間にはそれぞれ身体がある。身体は外界の物に接しており、それを使って目的を達することができる。(中略)
第二に、人間にはそれぞれ知恵がある。知恵は、物事の道理を発見し、事をなすに当たっての見通しを間違えることはない。例えば、米を作るときには、肥料の方法を考えるように。これは知恵の働きである。
第三に、人間にはそれぞれ欲がある。欲は心身の働きを起こすものであり、またこの欲を満足させることで個人の幸福を得ることができる。(中略)人間の働きは、みなたいてい欲の催促を受けて起こるものである。この欲がなければ働きというものもない。この働きがなければ安楽の幸福もない。
第四に、人間にはそれぞれ良心がある。この良心は欲を制御し、その方向を正しくし、その限界を定める。(中略)やるべき仕事も放っておいて、ひたすら自分が欲しいものだけを追求すればどうなるか。他人の利益を害して、自分の利益を得ようとするしかない。これは人間のやることではない。このとき、欲と道理を見分けて、欲を離れて道理に従わせるのが良心である。
第五に、人間にはそれぞれ意思がある。意思によって、事をなそうという気持ちがわくのだ。世の中のことは偶然でできるものではない。よきことも悪いことも、すべて人間がそれをしようという意思があってできることなのだ。
以上、五つのものは、人間に欠かせない性質であって、この性質を自由自在に操ることで個人の独立が達成できる。(中略)世の中にいれば、友人は必要である。とはいっても、友人の方でも、こちらが友人を慕うのと同様に、こちらと交際したがっているのだ。世間の交際は互いに望んでいることである。
ただ、この五つの力を使うに当たって、天が定めた法にしたがって、分限を超えないようにすることが肝心だ。分限とは、自分もこの力を使い、他人もこの力を使いながら、お互いにその働きを妨害しないということである。このように、人間であることの分限を間違えずに世間を渡れば、他人にとがめられることもなく、天に罰せられることもない。これが人間の権理である。
人たるもの、他人の権理を妨げない限りは、自由自在に自分の身体を使っていい道理になる。好きなところに行き、いたいところにいて、あるいは働き、あるいは遊び、この事を行い、あの事をし、昼夜勉強するのも、あるいは気が向かなかったら一日中寝ていてもよい。他人の利害に関しない限りは、はたからあれこれ言われる筋合いはない。

自分の自由を自分で活用して、自分の理想の人生を掴めるように日々を積み重ねていけばいい。

「自由にやっていい」という捉え方もできるし、「自分でやるしかない」という捉え方もできる。

自分の人生は自分でコントロールするしかないけど、誰かにコントロールされているかのような感覚になっている人も多い印象です。

「仕方ないから」とか「自分にはどうしよもできない」と思っている人がいたら、「そもそも自分には自由がある」ということを認識した上で、自分の自由について考えてみるといいかもしれません。

『目的』について

理論的基礎をまずは学び、階層的に学んでいくことを大切に生きてきたので、基礎をすっ飛ばしていきなり応用に入ろうとしたり、基礎や目的を軽視することは良くないと思っています。

以下、僕の母校のサイトから引用してますが、この学びのスタンスは、今は理系だけに限らずに大切にされていくべきことだと思います。

【理工系の学問の特性】
たとえば、数学に頭著に見られるように、理論が階層的な構造をしており、あるところで躓くとその先が全く理解できないものになっています。理論的基礎を正確に理解しない限り先には進めない、そのため、確かな基礎力を身につけることが最優先とされたのです。そして、理論的基礎を正しく身につけることによってのみ、理学による自然現象の解明と工学による社会実装が可能となり、ひいてはそれが新しい産業の誕生に繋がる、この理工系学問が持つ階層性の大切さを、今日に至る本学の教育と研究の歴史が物語っています。

引用:東京理科大学の実力主義とは

例えば、『自社ならではの何か』を教える場面を考える。

「自社ならでは」というのは応用に該当するので、基礎となる知識や、「一般的にはこう」ということを教えないと、「自社ならでは」という認識がズレてしまう。

だから、背景や目的を丁寧に伝えていくことが大事だし、それは階層的な学びに繋がります。

「なぜ?」を追求することの大切さが言われていますが、それは、点としての学びでなくて、線や面や立体としての学びが大切だということに通ずると思っています。

そうなると、上述した『理工系の学問の特性(理論的基礎を正確に理解しない限り先には進めない、そのため、確かな基礎力を身につけることが最優先とされたのです。)』が大切だと理解できます。

以下、『学問のすすめ』より。

学問には目的がある。
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。(中略)
この人間の世界を見渡してみると、賢い人も愚かな人もいる。貧しい人も、金持ちもいる。社会的地位の高い人も、低い人もいる。こうした雲泥の差と呼ぶべき違いは、どうしてできるのだろうか。その理由は非常にはっきりしている。
『実語教』という本の中に、「人は学ばなければ、智はない。智のないものは愚かな人である」と書かれている。つまり、賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによってできるものなのだ。(中略)西洋のことわざにも、「天は富貴を人に与えるのではなく、人の働きに与える」という言葉がある。つまり、人は生まれたときには、貴賤や貧富の区別はない。ただ、しっかり学問をして物事をよく知っているものは、社会的地位が高く、豊かな人になり、学ばない人は貧乏で地位の低い人になる、ということだ。

自分の人生を豊かにするために学ぶ・・・そこまで想像して学びと向き合っているか。

『学問のすすめ』に書いてある「何かを成し遂げていたり、地位が高いとされている人は学んでいる」というのは、非常に納得できます。

ただ、明確に「人生を豊かにするために学んでいます」という人は少ないと思います。

「深く学んでいたら結果的に人生が豊かになっていった」というパターンが多いはずで、それは、学びに夢中になるキッカケが「楽しい、面白いから」とか「興味があるから」という感覚的なものの場合が多いからだと考えています。

🔷あれも知りたい、これも知りたい
🔷あっちはどうなんだ?
🔷そもそもこれはなんなんだ?

こういう興味や疑問が階層的な学びを生み出し、確固たる基礎を身につけていく。・・・その基礎があるからこそ応用できたり、点を線に、線を面に、面を立体にしていきながら自分を進化させていくことができる。

『目的』を理解して『自由』に学ぶ

学びの意義は学んでいる人にしかわからないから、それをわかってる人は学び続けるし、それをわかってない人は「忙しいからそんな時間はない」と言い学ぶことをしない。

学ぶも学ばないも、それはその人が自由に選んでいいわけです。

でも、学んだ方が自分の人生が豊かになることは明らかだと思っています。・・・ってことは、「学んだ方がいいよ」って思うわけです。

学ぶも学ばないもその人の自由ってのはわかってるんだけど、人生を豊かにしたいなら学べばいいじゃんってこと。

「人生を豊かにしたいのに学んでいない」という意味不明な状態は抜け出そうねってことです。

「学ぶ」というのは、何も「お金を払って学校に行く」ということだけじゃないです。

お金をかけずに学べる手段はたくさんあります。

「お金を払うからこそ、学ぶこと対する姿勢が整う」と言う人もいますけど、僕はそうは思いません。

だって、要するに「学ぶことの姿勢を整えればいいんでしょ?」ってことだから。

全ての人に豊かな人生を送ってほしいです。

当然、僕自身も「自分の人生を豊かにしたい」と思っています。

自分の人生を豊かにできれば、周りにいる人の人生も豊かにできるはず(自然に伝搬していくはず)だから、まずは自分に視点を当てましょう。

心のラクを生み出すために、興味のあることを深掘りすることから始めればいい。

それは別に、仕事に関連することじゃなくてもいいから。

「学んでいてワクワクするな」という領域を見つけて、学んでいきましょう。

感謝

今回も、読んでいただきありがとうございました。

他のnoteも読んでいただけると嬉しいです。


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