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言葉を奪われると思考しなくなる

はじめに(いつも書いてること)

このnoteでは、「仕事でも私生活でも心をラクにする(ワークライフハック)」をテーマに文章を書いています。

※「ラクする」というのは、「心身に苦痛などがなく快く安らかに過ごす」という意味で使っている言葉であり、シンプルに「サボる」という意味ではありません。

今回の内容

🔷言葉を奪われた人間は思考することが出来ません。
🔷言葉を奪われた人間は論理的に思考することを放棄し、ただひたすら「空気」に流されて漂流することに成ります。

これらの言葉に共感しました。

読んだのは、こちらのnoteです。

評論家の山本七平は著書「下級将校が見た帝国陸軍」の中で、日本軍の最大の失敗を「兵士から言葉を奪ったこと」であると指摘しています。言葉を奪われた人間は思考することが出来ません。
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古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは、世界を構成する基本原理をロゴスと名付けました。新約聖書ヨハネ福音書の冒頭は「初めに言があった。言は神と共にあった。」という文章から始まっていますが、この「言」(=ことば)はオリジナルテキストのギリシア語ではロゴスとなっています。ちなみに、よく勘違いされていますが新約聖書のオリジナルテキストはヘブライ語ではなくギリシア語で書かれています。
そう、もうお気づきでしょう、このロゴスとは今日の我々が使う「ロジック」のことです。言葉を奪われた人間は論理的に思考することを放棄し、ただひたすら「空気」に流されて漂流することに成ります。

確かにそうだなと思いました。

言葉を奪われると思考が止まる。

思考が止まると、何も考えずに言われたことだけをやる人になってしまう。

それなのに、「主体的に行動するんだ」と言われる。

もう、どうしたらいいのかわからなくなりますね。

「◯◯さんとの面談は緊張します」と言ってる人がいる一方で、「◯◯さんとの面談は全然緊張しません」と言ってる人がいます。

これは、同じチームでの話で、『◯◯さん』というのは、チームを引っ張るマネージャーです。

緊張している人は、普段から緊張している可能性があり、言葉が奪われているかもしれない。

一方、緊張しない人は、普段から緊張することなく、言いたいことを言ってる可能性があります。

後者の方が心理的安全性は高く、個人でもチームでも思考が回るだろうなというのは予想できます。

それ以外の事例でも、「チームの管理者には相談できないんですけど・・・」という相談を受けることも度々あります(社内外問わず)。

これはまさに、チームの中で言葉が奪われている証です。

管理者としては「奪ってるつもりはない」と言うでしょう。

ただ、そうなってない事実があるわけです。

パワハラをしてる人が「自分はパワハラをしていない」と主張するのと同じ感じ。

言葉を奪われると、その場にいる意味を感じなくなる人もいるでしょう。

仕事においては、それが退職に繋がります。

「言葉を奪われている」という感覚を持たずにその場にいるためには、心理的安全性と相互信頼が大前提になってきます。

チームを引っ張る存在の人がそれを理解して、チームづくりをしていかなければなりません。

おかしいことには「おかしい」と言える関係性が、個人の働きやすさと働きがいをつくり出し、チームとしての一体感を生み出します。

上司と部下、先輩と後輩、親と子など、主従関係がある中で、思考が奪われるシーンが出てきます。

特に『主』に該当する人は、『従』に該当する人との関係性に注意していきましょう。

『主』の関わり方が、『従』を以下のような人間にしてしまうことを肝に銘じて。

🔷言葉を奪われた人間は思考することが出来ません。
🔷言葉を奪われた人間は論理的に思考することを放棄し、ただひたすら「空気」に流されて漂流することに成ります。

自分の人生なんだから、自分で考えて自分の意思決定により行動していった方が、ワクワクと生きられますからね。

感謝

今回も、読んでいただきありがとうございました。

他のnoteも読んでいただけると嬉しいです。


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