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旅の思い出

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旅の記録のつめあわせ
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#旅行記

旅先での相談事-最後の恋のはじめ方-

「一秒ごとに表情が変わるね」 まじまじと顔を覗き込みながら言う。 だったら、その一秒ごとの表情を見逃さないでね。 海の表情も、くるくると変わる。 昼過ぎまではあれほど穏やかだった水面が、今はざわめきたっている。 垂れ込める雨雲が何度となく断続的なスコールを呼んでいる。 移り変わる表情を見逃したくないから、飽くこともなくただ海を眺める。 変化することは楽しい。 変化するものを眺めるだけでも楽しい。 何もない島なので、何もせずに過ごしている。 むしろ、ちょっとした風や光

奈良散策-リトル・ブッダ-

奈良を訪れたのは3回目のことだ。 小学校の修学旅行が初めてのときで、それから5年ほど前だったか、名古屋で知り合った友人が奈良の出身で、帰省の折に遊びにおいでよと言われて立ち寄ったのが二度目だった。 今回は、両親が年末にどこか行こうと言い出して、どこにするどこにすると、ああだこうだ言っていた末に、どういうわけか結局決まった旅先である。 京都や奈良というのは案外と年末年始は空いているものだと、京都の大学を出た会社のマネージャーが言っていた。 まさにそういう流れに乗った。 そう

ツァツラル、ホーミー、サエンバイノウ-らくだの涙-

ウランバートルの駅は、首都にあるまじき閑散とした趣きだった。 数日ごとに訪れる国際列車を迎え入れ、見送るためだけに用意された、吹きさらしの長いプラットホーム。 この国のある官僚が、「ねえねえ知ってた?スイス銀行にお金を預けると増えるんだよ」と言ったという話も案外ジョークにしきれない。 それはのどかというよりは、寂しいほどの、何もない国だった。 ただ人の心だけは無垢であり、どこへ行ってもシャイにはにかむ。 それだけで心ほだされる優しい国、モンゴル。 大学4年の夏、中国から

シベリア鉄道の夜明け-ラストエンペラー-

北京駅発シベリア鉄道の、その先の話。 この北京駅へたどり着く前には、こういう船旅やこういう列車の旅があり、早朝に膨らむ高揚感があり、そうしてようやくクラシックなコンパートメントに腰を下ろす。 シベリア鉄道というとウラジオストクからモスクワ、という印象があるけれど、その一部はウラン・ウデで分岐してウランバートルを経て北京へとつながっている。 私たちが目指したのはモンゴルの首都ウランバートルで、そういう意味ではシベリア鉄道には乗ったものの、「本当の」シベリアの大地を走ったわけ

始まりと終わり-菊次郎の夏-

中国へ渡る船旅の終着は、天津港。 陸に着くと入境審査と税関があって、彼らが一言たりとも英語を遣わず、標識にも英語がないということを発見すると、途端に焦りをおぼえ始めた。 頼りにしていた中国人女性は、港から最寄の駅まで一緒だった。 けれど、乗り合いバスを降りた途端、彼女の脇にまた別のマイクロバスが停まり、その運転手となにやら言葉を交わしたかと思うと、彼女は笑顔で「私はこの車で北京まで行くから!サヨナラ!」と言い残して、あっという間にいなくなった。 え?え?え? ちょっと待

大陸が見えたとき-八十日間世界一周-

オフィスに立ち寄った際、少し前の記事にも書いた「以前に一度だけお会いしたことのあるうちの会社にインターン中の方=親友の彼氏の先輩」とランチした。 実に4年ぶりになるけれど、こんなふうに再会するとは思っていなかったので、とても不思議な感じがする。 その方はUCLAのMBAを1年終えて、残り1年を残している。 日本への滞在は、弊社ともう1社のインターン期間の今月末あたりまでらしい。 「どうですか?楽しいですか?」と訊けば、「楽しいねえ~」とそれはそれは満足そうな顔。 社費で留

一つの部屋-神様のボート-

ふくらはぎが痛い。 普段ほとんど歩かない生活なので、ちょっと長い距離を歩くとすぐ筋肉痛。 日頃の運動不足を、激しく反省。 ヒールを脱いで、フラットなサンダルを履く休日。 繰り返し打ち寄せて引いていく、波の音。 果てしなくマイペースな父と母との旅は、こちらもマイペースを決め込むに限る。 下手に合わせようとせずに、一々干渉しない、好き勝手な旅の楽しみ方をする。 うちの親子は全員B型。 ちなみに、弟二人も。 子供の頃、私が一番好きだった時間は、土曜日の夜。 夕食の後、両親と

ありふれたことの幸せ-ローマの休日-

明日からお楽しみ、GW。 今年は結構長い連休がとれた。 6日は出社だし、休み中の宿題になる仕事も結構あるけど。 今日は、仕事中からcobaの陽気なアコーディオンなど聴きながら、お休み気分でちょっと心が軽い。 ひとまず予定しているのは、伊豆旅行。 2泊3日で北川温泉に行く。 特にアトラクションの予定は立てておらず、今度こそ「ゆったり」を得たい。 それから、日頃ないがしろにしている身体のため、健康診断に。 買い物をして部屋を掃除して、洗濯をして布団を干して、映画をいっぱい観

新婚旅行の鉄則-ジャスト・マリッジ-

その巨大な建築物はいかにも見晴らしの良い爽やかな場所に立っていて、ギリシア人たちがなぜここを選んだか、説明など訊かなくたってすぐ分かる。 この丘に立った者は、穏やかに広がる地中海の先に、きっと等しい想いを馳せることだろう。 日が落ちた後、ライトアップされたコンコルディア神殿の姿は、もくもくと空を覆うビロードのひだのような夜を背景に孤高の神々しさばかりでなく不気味ささえ誇示していた。 ガラス窓を挟んで眺めれば、丘の上にたちはだかるホーンテッドマンションみたいだな、と感じた。

アグリジェントにつくまで-西の魔女が死んだ-

Hotel Baglio Conca D'oroを発ったのは、Natale(イタリア語でクリスマス)の朝だった。 朝食室でカプチーノを飲んでいると、ジョジョとルイージが現れて「Buon Natale」と声をかけてくれた。 「私は今日チェックアウトするんです」と言うと、「日本に帰るんですか?」と尋ねるので、「アグリジェントへ行くんです。それからカターニアに行って、ミラノに寄って、それから日本に帰ります」と今後の行程を説明する。 ああ、シチリアの見どころをまわるんだね、といった

シチリアの結婚式-ゴッドファーザー-

モンレアーレは、盆地の肌にはりつくように築かれた、小ぢんまりとした田舎町である。 この町のハイライトは12世紀に建てられたというノルマン様式のドゥオーモ。 「回廊付き中庭」と訳されるキオストロは静まり返って柱の影を落とし、一組の熟年夫婦が寄り添って歩く姿が絵になっていた。 ガイドブックによれば、モンレアーレのもう一つの見どころはクローチフィッソという名の巨大なマヨルカ焼の壁画。 本には正式な名前さえも載らない、教会の外壁に描かれているらしい。 もてあますほど時間があったの

マンジャーレ!-シェフとギャルソン、リストランテの夜-

午前中の散歩から帰って、キーボードを叩いた。 もう少し経ったらランチに行こう。 今日は街には出ないと決めたから、ホテルの中で済ますつもり・・・ とロビーにて、ランチは予約のみとの表示が目に入る。 なんということだろう、しかたがない。 確か少し歩けば、幾つかレストランがあったはずだ。 本とデジカメと財布を持って、再度、外に出た。 あいかわらず眩しい光。 今度は坂道をしばし下る。 オレンジの車体の路線バスとすれ違う。 道いっぱいを走るので、ぎりぎりまで身をよける。 右側に

含み笑いを介して-あのころ-

ここ数日、パレルモは冴えない天気が続いていたが、今日は朝からすこぶる機嫌のいい空の色だ。 天気予報によれば、本日のパレルモは最高気温17度。 北イタリアはBIANCO NATALE(ホワイトクリスマス)と報じられているのだから、その差たるや大きい。 朝食を済ませた後、本を一冊持って散歩がてら坂道を上ってみることにした。 CONCA D'ORO盆地の山肌に、オレンジ色の屋根の家々が連なっている。 開放感に満ちた空と大地の様相に、自然と心も足取りも軽くなる。 双方向の車がすれ

サバ読む年頃-25年目のキス-

どこのどんな街に行っても、必ず出くわすのが校外学習中の子どもたちだ。 数えると16カ国になったが、過去に行ったあらゆる国のあらゆる街で、この類の一行に出くわした。 今回もご多分に漏れず、である。 パレルモの旧市街に雄然と構えるカテドラルで、私は、この建築物にまつわる「歴史的説明」をガイドブックの記述に求めようとしていた。 音のよく響く、遥か高い天井の下で、さきほどから金切り声さえ混じった賑やかさを示すのは、やんちゃざかりの小学生たちである。 3、4年生くらいだろうか。 どう