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始まりと終わり-菊次郎の夏-

中国へ渡る船旅の終着は、天津港。

陸に着くと入境審査と税関があって、彼らが一言たりとも英語を遣わず、標識にも英語がないということを発見すると、途端に焦りをおぼえ始めた。

頼りにしていた中国人女性は、港から最寄の駅まで一緒だった。
けれど、乗り合いバスを降りた途端、彼女の脇にまた別のマイクロバスが停まり、その運転手となにやら言葉を交わしたかと思うと、彼女は笑顔で「私はこの車で北京まで行くから!サヨナラ!」と言い残して、あっという間にいなくなった。

え?え?え?
ちょっと待ってよ。。。
私も連れてって、と言う暇もなかった。

しばらく呆然としていたけれど、はっと我に返って、こうしている場合じゃないと思い直した。
その日のうちに、私は北京へ行かなければならない。

天津港に近いその駅の名前を私は記憶していない。
それなりに大きな駅だったけれど、天津の中央駅までは汽車で30分近くかかった気がする。

汽車の切符を買おうと窓口に行くと、そこでも再び打ちのめされた。
英語が通じない。
まったく。一切。

窓口の隣に立っていた若い公安(警官)にも声をかけてみる。
彼にも英語は通じない。

この国は、英語が通じない。正真正銘、通じない。
わけのわからない場所に、たったひとりで立っているのだと、そのとき嫌な感じの汗が出てきた。
やばい。まじで、やばい。

けれど、日本人には漢字がある。
中国人とのコミュニケーションには、筆談がある。

ともかく私は窓口で「ベイジン、ピャオ(北京、切符)」と連呼しながら、紙に「北京」と書いて示した。
向こうが何を言っているか正確にはわからないけれど、どうやら、ここでは北京までの切符は買えない、天津までだと言われて(そう言われたんだと思う)、天津行きの切符だけを渡された。
値段は紙に書いてもらって、そこに書いてあるとおりに払った。
神戸で握らせてもらった人民元で。

次はホームが分からなかった。
どこから天津行きの列車が出るのか分からない。
案内板が見当たらなかったので、すれ違う中国人に切符を見せて懇願するような顔をしてみた。
言葉は、なんと言ったらいいか分からないので、もう表情で語るしかない。

一人の中国人が、「あっちだよ」と教えてくれて、「シェイシェ」と何度も頭を下げながら、彼が言うとおりのホームへ向かった。
何度も違っているんじゃないかと不安になるほどそのホームで時間を潰した頃、列車はやってきた。
乗る前にもう一度、そこらへんにいた中国人に切符を見せ、「これでいいの?」と訊いてみる。
「それでいい」とうなづくので、恐る恐る乗り込んだ。

その列車も二等だ。
暑い時期だったけれど冷房はなく、窓は開け放されて風を取り込んでいた。
既に座席はいっぱいで、通路に立つ。
雰囲気はさながら「世界の車窓から」。
大きな荷物を携えた生白い顔は、私が外国人だと十分すぎるほど周囲に知らしめている。

私は天津で北京行きの列車にうまく乗り継げるかどうかについてだけ、考え続けていた。
さも不安げな顔をしていたのだろう。
そこに、隣に立っていた中国人のオジさんが声をかけてきた。

何を言っているかは分からない。
もちろん彼がしゃべっているのは中国語だ。

私は彼に切符を見せて、「我 北京(ウォー ベイジン)」と言ってみた。
毎度のごとく、懇願するように。

オジさんは早口に何かまくしたてる。
たとえゆっくりしゃべってくれても何を言っているかは分からないけど。
中国人のしゃべり方というのは一様に、眉間にしわがよりがちのどやすようなトーンだ。

一生懸命、彼が言うことを理解してみたいとは思ったけれど、全然分からない。
オジさんの身振り手振りが一層激しくなるのを途方に暮れて見守っていると、車両の混雑を掻き分けるようにして「どうしたの?」と青年が現れた。

英語だ。
彼が話しているのは、いまや母国語かと思うくらい懐かしい英語!

「北京に行きたいんです!」
「これは天津までの切符だね。天津駅で北京行きに乗り換えなきゃだめだ。乗り換え方、分かる?」
「分からないんです・・・」
青年は先ほどのオジさんと何か言葉を交わしてから言った。
「天津駅で、乗り換えの場所まで連れて行ってあげますよ」
「ありがとう!ほんとにありがとう!」

親切な青年は天津大学の学生だったそうで、天津駅に着いた後、北京行きの急行列車の切符を買うために窓口まで私を連れて行き、買い終わるまで待って、乗り継ぎのための待合室まで誘導してくれた。
北京の友人に電話をかけたいと言うと、公衆電話の使い方も教えてくれた。
その一部始終には、青年だけじゃなく、さっき列車内で中国語でまくしたてていたオジさんまでついてきた。
オジさんは、逐一、青年の英語を中国語に置き換えるように補足説明を加えていた。
もちろん、さっぱり分からない。

待合室で深々と頭を下げ、「本当にありがとう。あなた方がいなかったら、迷子になってた」とお礼を言うと、「よかったよかった」と爽やかな笑顔を残して青年は去っていった。
オジさんも、「ああ、よかった」と、さも一仕事終えたというふうな満足な笑みを浮かべて去っていった。

世の中、なんとかなるようにできているなあ・・・と、自らの幸運をかみしめる。
不安にはなったものの、全く危なげなく北京行きの列車に乗り込もうとしている。

待合室では見知らぬ人に「アンニョンハセヨ」と声をかけられ、「コリアンじゃないです」と言うと、「日本人なの?ひとりで旅行しているの?」とまた英語のできる人に出会った。
その人は、政府の役人なのだと言っていた。
北京までの列車のなかでは彼と一緒だったのだけれど、そこまでたどり着いた道々について説明すると「全く無謀な子だ」と呆れられた。
「中国の地方部で英語の話せる人に出会うのは滅多にない。今日、あなたは二人も出会って、ものすごくラッキーだ」

確かに、ほんとにラッキーだと思う。

その後の彼の言葉と言えば、
「私は南方出身だが、あなたは私の故郷の顔立ちに似ている。
大変懐かしい。あなたは大変美しい・・・」云々。
・・・なんだ、ナンパかよ。
あんた、さっき私をコリアンだと思ったじゃない?コリアンって南方系だっけ?

フレンドリーだけどちょっと鬱陶しいお役人さんに別れを告げ、北京駅の雑踏の中、無事に友人の顔を発見したとき、心底ほっとした。
半年にも満たない滞在のうちに、彼の顔は真っ黒に日焼けして現地人にすっかりなじんだようだったけれど、異国での見慣れた顔というのはこれ以上ない安心だ。
もちろん、彼は日本語で迎える。

「大変だったんだよー。ここまで」
船酔いの辛さ、言葉の分からない不安、親切な人に助けてもらった話、私が堰を切るように話すのを聞いて友人は言った。
「だいたい、船で来るっていうのが無謀だよ。中国じゃ北京でだって英語は通じないよ。しかも一人だし」
「でも、乗りたかったのよ。どうしても。遣唐使気分になりたかったのよ」
「まー、分かるけどさ」

友人はまた呆れたように笑って、「プレゼントだよ」と私にトイレットペーパーを渡した。
「この国じゃ、これがないと生きていけません」

芯がへしゃげたトイレットペーパーを見て、やっぱり自分は、無謀な旅をしているのだと思った。
少なくとも中国語が多少でも分からないと、残りの旅を一人で乗り切ることはできない。

旅程も帰国日もまともに決まっていなかったので、後に合流する予定の友人たちとどこまでいつまで一緒にいられるかも分からなかったのだ。
彼女たちの方は帰国日を決めていたけれど、私の方は、その後も残って一人で旅行するというオプションを残していた。
もちろんそうするつもりでいたのだけれど、このままじゃ中国人の親切に頼るきりで、下手をすると悪い人に騙されたり、危険な目に遭ったりしかねない。

「中国語、教えてよ」
それから1ヶ月強の旅の間、結構真剣に中国語を学んだ。
北京留学中の友人と、神戸港まで見送ってくれて後に合流した友人は中国語がある程度話せた。
おかげで、旅をなんとか乗り切って死なないくらいの最低限の中国語は理解できる。もちろん、筆談もあるし。
何より、少しだけ自信がついた。

旅の終わりに上海港から神戸行きの「新鑑真号」に乗るときの気持ちは、旅の初めとは全然違った。
港まで行く指示をタクシーの運転手さんに中国語で言えたし、その運転手さんと簡単な会話さえできた。

旅の始まりと終わりに、ほんの少しだけ何かが変わる。
ほんの少し言葉をおぼえるだけで、挨拶もできる。
しっとりとした旅の疲れが不眠症を救ったり、ふくれ面が和やかになる。
脅威が安心になって、顔がほころぶ。
どこか研ぎ澄まされて世界が覗ける。

満足な呼吸ができる。

子どもじみた向こう見ずでほとんど無防備な旅と言えば、「菊次郎の夏」など思い出す。


菊次郎の夏(1999年・日)
監督:北野武
出演:ビートたけし、関口雄介、岸本加世子他

■2005/8/12投稿の記事
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