見出し画像

含み笑いを介して-あのころ-

ここ数日、パレルモは冴えない天気が続いていたが、今日は朝からすこぶる機嫌のいい空の色だ。
天気予報によれば、本日のパレルモは最高気温17度。
北イタリアはBIANCO NATALE(ホワイトクリスマス)と報じられているのだから、その差たるや大きい。

朝食を済ませた後、本を一冊持って散歩がてら坂道を上ってみることにした。
CONCA D'ORO盆地の山肌に、オレンジ色の屋根の家々が連なっている。
開放感に満ちた空と大地の様相に、自然と心も足取りも軽くなる。

双方向の車がすれ違うのがやっとの狭い道にも関わらず、案外と往来は多いため、ドライバーから私の姿が見えやすいようにカーブの多い道ではアウトコースをとるようにする。
雨水が流れるように浅く掘られた脇溝を踏んで、本を読むのに良さそうな場所を探しながら、ゆっくりゆっくり歩んでいく。

古い石造りの家が多く、庭ばかりは広くて大きな犬がおり、見知らぬ顔に吠え立てる。
道端の草むらにはタンポポが、どこかいたずらげに咲いている。その鮮やかな黄色は空を流れる雲のやわらかさと、不思議に相性がいいと感じた。

全くの田舎道でほとんど商店らしいものはないのだが、それでも片道30分ほどのうちに食料品店が1つ、雑貨屋が2つ、パン屋が1つ、トラットリアが1つあった。
帰りに立ち寄ろうと思いながら、ますます上を目指すと、どうやら路線バスの終点らしい開けた場所に着く。
ささやかなロータリーを囲むように、比較的新しそうな赤茶色のアパート群が立っていて、各戸のベランダには白い洗濯物が干してある。
確かに久しぶりに太陽が顔を見せた今日は、絶好の洗濯日和だと言える。

バス停のイスには、おばあさんと若い女性が座っていた。
私はそこを通り過ぎ、EUとイタリアの国旗が飾ってある、何らかの公共施設らしい建物の前のベンチに腰を下ろすことにした。
イタリア語が分からないのでそれが何なのか検討がつかないけれど、今日は休みであることだけは間違いなさそうだ。

ベンチにはまた良い具合に陽が当っていた。
右頬ばかり日に焼けるのではと少し心配になるほどの陽射し。
上着を脱いで本を開く。

シチリアにまで来て私が読んだものと言えば、さくらももこのエッセイ。
著者の幼い頃の出来事が、吹き出すような文面で楽しく、懐かしく、かわいらしく綴られている。
彼女の描く世界と言うのは、まぎれもなく等身大の日本であると言っていい。
下手に「らしさ」など出さなくても、下手に大げさな演出などなくても、含み笑いを介して伝わる、他のどこにもない日本人の日常。
私とは10年ばかり離れているけれど、決して遠くない感覚で、自分自身の幼い頃を思い出す。

どうして忘れていたのかなあと思うほど、楽しく、懐かしく、かわいらしい出来事たち。

ありふれたものの中にこそ、その文化の色なり匂いがある。
含み笑いを介して伝わる機微。
そこに身を置き風景になじんでみることでしか知ることのできないもの。

外国人に日本を伝えるのに京都へ行って、一緒になって「へーっ」と感心してしまう。
それはある意味では確かに「日本」だけれど、私たちの日常はそれとは異なるかたちで営まれている。
額縁やガラスケースや、入場料を払うような敷地の中で、説明書きや「○○体験」といったこしらえ物を介して伝えるものとは、違うもの。

そう、だからこそ、こんなシチリアの田舎道まで足を運ぶのも私の趣味で、地球上に踏む価値のない道などないのだと思う。


あのころ
著者:さくらももこ
出版:新潮文庫

■2004/12/27投稿の記事
昔のブログの記事を少しずつお引越ししていきます。

この記事が参加している募集

サポートをいただけるご厚意に感謝します!