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小説『ワンダリングノート・ファンタジー』(67)時空を超えて

Chapter67


 「悪夢の目玉」に取り囲まれ、身動きの取れなくなったダンはその邪気を帯びた視線でトムを操ろうとした。

『身体が動かずとも⋯⋯俺の眼力を防げる者はこの世にいない!! くらえっ!!』

 ダンの目から放たれた醜悪な瘴気は巨大な蛇の姿へと変わり、トムを狙って喰らい付いた。しかしその鋭い牙は彼の身体をすり抜け、どこかへかき消されてしまった。

『何だと!! こんな馬鹿なっ⋯⋯この俺の渾身の幻影眼力が⋯⋯効かないはずは⋯⋯??』

 焦るダンに対し、寂しそうに彼を見つめるトムが少しずつ距離を縮めて来た。その無我の境地へ辿り着いたかのような厳かな雰囲気から、ダンはハッとして思わず言葉を漏らした。

『それは⋯⋯白装束の貴様は⋯⋯それが「時空を超えた」姿なの⋯⋯か!?』

 トムはゆっくりと、滑るようにダンへの距離を詰め始めた。金縛り状態の彼には抵抗する術もなく、ただ荒い息遣いだけが周囲に響いた。

『この俺の、知らざる世界⋯⋯それは「あの世」かっ!!』

 ダンがそれを認識した瞬間、トムの身体が風のように彼の肉体を通り抜けた。途端にダンは拘束が解けて自由になり、無意識にトムの方へと振り返った。

「ダン⋯⋯君にも見えたのかい? この世の理が。寿命のない世界では、決して知ることができないものがあるんだ。エマはそれを、僕を通じて君に教えたかったんだと思う」

『なるほど⋯⋯「想像の世界」か。お前の紡ぎ出した言葉が、あの美しいフィールドを一つひとつ創り上げていたのが、今となってわかった。俺の「絵本」には描けない⋯⋯到底、叶わない⋯⋯夢、か』

 放心したダンは持っていた書物を眺めた。彼が破り続けたページは再生され、白紙へと戻っていた。それを見たダンは自身の中で複雑な解釈をとり、やがて何かを悟ったように静かに言葉にした。

『だがな⋯⋯死んでしまってからでは遅いのだ。俺は俺の野望で、独自の世界を創り出して、あのエマへの復讐を忘れるわけには⋯⋯いかない⋯⋯』

 ダンは書物を手放した。その指先は凍るようにガラスへと変わっていき、腕を登りやがて全身へと広がった。透明になったダンの拳が自身の胸を打った時、彼は音もなく粉々となり、そして彼方へと消えていった。


***


 空間の振動が収束に向かい始め、エテルナル・ミラーを見上げたレナは鏡のひび割れが復元されていくのを見た。

「揺れが収まってきた⋯⋯終わったんだわ」

 無数の古書が宙を舞い、そこから溢れ出る魔法のようなエネルギーによって、エマの鏡は再び命を吹き込まれた。鏡の表面は徐々に明るさを増し、その枠組みは金色に煌びやかに輝いていく。
 古びた書物が一冊一冊、自らの存在意義を確認するかのようにページをめくりながら羽ばたき、そこから解き放たれる叡智の粒子が巨大な鏡へと吸い込まれていった。

「ダンは⋯⋯どうなったのかしら。そして、トムは⋯⋯」

 レナの持つ金色の斧が、エテルナル・ミラーと不意に共鳴しだした。同時にその鏡面にぼんやりと人影が映り、彼女は警戒しながら両手で斧の柄を握り締めて構えた。


──Hi, Lena. How's it going?──


 レナの背後から優しい声が響いた。それはそよ風となって彼女の身体を吹き抜け、どこか懐かしい空気となって辺りを漂った。

「トムなの? どこにいるの!?」

 誰かの気配は感じられるが、レナの目には映らない。辺りを見回す彼女の足元に、ひらひらと一枚の紙切れが舞い落ちた。


──どうしても消えない記憶の1ページが、僕の中にあるんだ。それを君に、断ち切ってほしい──


「またメモだけ残して、ちゃんと姿を見せてよ⋯⋯! お願い⋯⋯
トム」

 涙ぐむレナの言葉だけが響く中、エマの巨大な鏡はいつしか鈍い光を放ち、彼女の見慣れた光景をそこへ映し出していた。その映像の中には、池のほとりに立ち、静かに水面を眺める女性の姿があった。

「あれは⋯⋯誰? この景色はどう見ても⋯⋯あの公園の、大きな池のように見えるけど」

 静かな池を見つめるセンスの良い、奇抜な服装をした大人の女性は何かを思い出している様子だった。しばらくすると彼女は振り返り、その場を後にして歩き出した。すると、何かに気づいたような素振りを見せ、突然その場に立ち止まった。
 レナが鏡を通じて見守る中、映像のフレームは女性の視線の先を映しておらず、何を見ているのかはまだ確認できなかった。

「何かしら⋯⋯警戒しているような⋯⋯でも、一体何を?」

 そこへ、体格の良いスーツ着の男性が現れた。彼は堂々とした足取りで、女性の方へゆっくりと歩きだす。突如レナの身体に悪寒が走り、その場の会話が彼女の頭の中へと飛び込んできた。

『お前に、もう一度会いたかった。あの小僧のものになる前に、どうしても⋯⋯な』

「だ、誰よあなた? 何の話をしているの?」

 レナは戦慄を覚えた。復活したエマの鏡が捉えたこの光景は、大人の姿のレナ自身と、脅威の男ダンが遭遇する緊迫した場面をヴィジョンとして映し出したものだった。


This unknown world of mine... Is it the afterlife!?


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