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『べつに怒ってない』で楽しむ日常

日常。いつもの日々。ヒトもほかの動物も、生きていく上で生活リズムを確立することは超大切。でも、ヒトは安定しすぎて単調な日々が続くと、毎日を楽しむというよりもただ「こなす」「過ごす」という感覚に呑み込まれそうになることがあります。
気が付くと1日が、1週間が、1年がいつの間にか終わっていて、日々のルーティーンをこなす機械になったような気分になることも。ああ、こんな生活でいいのだろうか、と。

そのくせ、例えばちょっとでもネガティブな変化(体調不良、災害などなど)があるとすぐ、あの平凡で安穏としていた変わり映えのない日々が実はいちばん愛おしい貴重なものなのだ!と思うこともあったり。
ヒトってのは、得てしてなかなか勝手なものです。

『べつに怒ってない』- 著者:武田砂鉄さん

徹底した日常観察

こちらのエッセイ集を読んでみると、折しも2020年、かの疫病が突如として世界中に広まり始めた頃、日本でもガチの行動制限が初めてかけられ、皆が最も怯えていた時期に書かれた本でした。なので、ある意味非日常な体験でありながらも、「どこにも遠出できない!」という大きな日常への制約の中で編纂されたものです。

そういった背景もあってなのか、それともシンプルに著者の武田さんの観点がそういう嗜好だからなのか、本当に身近な、家だったり道路だったり近場のお店だったりと、誰しもが必ず体験したことがあるような各種の「アレ」たちがテーマでした。

見逃せないほどでもないが、気にならないわけではない現象に拘泥し、しつこく考え続けたエッセイ集

出版社レビューより

ふむふむ。武田砂鉄さんというライターの方はこの本で初めて知ったのだけれど、「考えすぎのプロ」らしい。それにしても著者による前文がまた独特。

だからなに、と思われそうな文章ばかりが載っている。ひとつひとつの感想として、だからなに、だからなに、だからなに、だからなに、と続き、その次くらいに、ようやく、「いや、私はこう思うけど」と漏らしたくなったら、とっても嬉しい。

「はじめに」より

どゆことー。

「だからなに」の応酬

何章か読んでみて確かに思うのは、「だからなに!」「え、だからなに!」でした。うん、確かに!笑
もしかしたら、この感じのエッセイなら私にも書けるかも知れない(思い上がり)と思えるぐらい、視点が庶民的で、いやほんとだからなに!ってなるお話ばかり。

待てよ、これは、本当に私にも書けることがあるのでは?あれ、もしや私ったら、作家デビューできちゃうのかも?(エスカレート)
なんてうっかり思いそうになる事象の連続。

けれど、些細でどこにでもありそうな平凡な日常の隅々から、ここまでたくさんの日頃意識もしていなかった事象に気づいて言語化するのは、やっぱりプロはすごいと思うのです。
しかもその数、実に123本…!!

「あるある」なのにスッキリしたりしなかったり

元来、テレビやラジオやら色々なコンテンツで紹介される、いわゆる「あるある」エピソードの存在意義は、「あー!わかるー!それ言ってもらえてなんかスッキリー!」という体験の共有とシェアが主目的と勝手に認識していました。

この本もそこかしこに「あるある」が出てきます。でも何だろう、あるあるなんだけど、「だから何!」率の方が高いのです笑。武田さんの吟味が、どちらかというと大衆の斜め上を突き進む傾向があるからでしょうか。それがまた面白い。

けれど、何なんだこの本は、と読み進めていくうちに、時々地味にヒットします。あぁ、なんかわかる。あまりに日常すぎて意識すらしてなかったけど、言われてみればこれあるわ〜。と。そりゃ123本も連続ノックがあれば、どこかで当たるか、というのは置いといて。

例えば、喫茶店で最初にサーブされる氷水のコップに付いた水滴問題。あれね、テーブルに物を置きたい時とか地味に困るのよね。わかる!いや、ただそれで私はこう思うけど…

…ん?

やられた…!著者の「はじめに」の思惑通りじゃないですか。なるほどこういうことか。

そんな感じで、何も考えずに何かのエッセイを読みたいときには、ゆる〜りと読んでみると良いかもです。
日常に、ささやかな面白みを。

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