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日常とその向こう。『離陸』

前に紹介したこの本で、

日→韓翻訳者のクォン・ナミさんが、翻訳していて特に印象深かった物語や、その作家さんたちにも言及されていました。例えば、恩田陸さん、村上龍さん、天童荒太さん、村上春樹さん、などなど。その中で私にとっては初見だったのが、絲山秋子さん。どんな本を書かれるのかなと、何となく気になっていました。

そんな頃に、絲山さんの文庫が見やすいところに売られているのを発見。クォンさんが翻訳されていた本かどうかも覚えていなかったけれど(失礼)、読んでみることにしました。例によって、あらすじもろくに読まずのいきなりスタート!

これ、本当に楽しいんです。どうやら小説らしいぞ、ということと、タイトルだけを知って読む。どんな登場人物が出てきて、どんな舞台で、どんな展開を見せてくれるのか。ほぼノンフィクション?SF?ミステリー?現代?昔?そんなことすら知らずに読んでいると、誇張ではなく、ページをめくる度にその本の世界に文字通り引き込まれて、リアルタイムの臨場感を得られます。

『離陸』- 著者:絲山秋子さん


世界観にどっぷり

読み始めてすぐに、何だかとてもとても静かな小説だな、と感じました。人当たりは悪くないけれど社交的というほどでもない主人公の、どちらかと言うと淡白な調子で語られる内面を通して見る世界だから、かも。

静かと感じた理由はほかにもあるかなと考えると、会話もそうでした。主人公も、そのほかの登場人物も、彼らの会話をイメージする時に独特の静けさを感じます。ちょっとしたやり取りも、どこか演劇調に感じる部分も目立ったり。何だろう、例えて言えば、村上春樹作品の映画『ドライブ・マイ・カー』の登場人物たちのような。

言ってみれば、ごく普通な日常の世界に、現実か非現実かくっきり判断しきれない要素がちらちらと混ざっていく感じも、何となく村上春樹作品に似た感じかも?

実は、今のところ私は村上春樹作品はちょっと苦手で、ハルキストにはなれないタイプ。(でもまだハルキは2冊しか読んだことがないので、どの作品が村上作品に似てるかどうか、なんて言うのはもしかしたらものすごい見当違いかも知れないし、烏滸がましいことかも知れないので、話半分にきいてくださいね)

それなのに、不思議と絲山秋子さんのこの物語は、なぜか全然苦手じゃない。それどころか、何だかクセになるような、また何度でも浸ってみたいような世界観でした。

伏線回収ってナニソレオイシイノ?

もし、この物語に伏線というものが存在するとすれば、回収という概念はあまり強く意識しない方が良いでしょう。

近年は、見事な伏線回収!スッキリ!な本も流行っていますよね。そういう本が読みたい時もあります。
例えば、これとか。

これとか。

こういう見事なゴリゴリの伏線回収系の物語は、それはそれで面白いし私も好きです。(あ、『変な家2』はストーリーは好きではなかったけど。伏線回収の気持ち良さという意味で、ね。)

でも、『離陸』のように、思索に余白をたくさん残してくれる物語も好きです。掴みどころのない事象をすっと差し込んできて、登場人物も読者も悩ませておきながら、ぼんやりした解の手がかりを軽く落としていく程度であんまり回収しない。そもそも、この物語の主目的は別に伏線回収ではありません。いや、伏線ですら無い、かも知れない。

淡白なのに、叙情的

『離陸』は全体を通して、淡白なのに、どこか叙情的。また、きれいに分野をジャンル分けできる物語ですらありませんでした。なのに、そうしてくっきり分けられないことすら、モヤモヤすることなく味わえます。

叙情的と感じた理由のひとつには、この物語に「死」のテーマも深く織り込まれていたからかも知れません。

生きていれば誰しもが避けることはできず、いつか必ず向き合うことになるもの。これまで何度となく誰かのそれを経験したことはありますが、こんなに辛い思いをするならいっそ出会わなかった方が良かったんじゃないだろうか?と考えてしまうほど、辛い。私は、それを敢えて他の言葉で表現するとしたら「圧倒的な喪失」だと思っています。いや、言葉にすると言いつつ、やっぱり言葉にしきれない。

その「喪失」を、どう捉えるか。どう向き合い、どう生きるか。そんなことを考える時や、考えなくちゃいけない時に、本はとても心強い支えになってくれます。

例えば、吉本ばななさんの著作がしっくり来るように感じる人は、この物語もそうかも知れません。

ああ、あの人たちは今どうしているかな、とか、あの人が幸せを感じられる生活を送れているといいな、とか。久々に、まるで登場人物に実際に会ったかのように、ふと彼らを想ったり、その幸せや健康を願う気持ちになりました。

おまけ

タイトルの『離陸』の意味はメタファー的なもので、こういう本ではきっと言及されないんだろうと勝手に思い込んでいたら、様々な方向性から案外直接的な表現が複数回出てきたのは意外でした。

でも、駐機場のところはあまり同意できなかったというか、ほんのちょっとした反発心(話の本筋ではないのは分かっているから、我ながら幼稚だなと思いつつ)が芽生えました。私は、私たちは、並んでるだけじゃなくて、空港の外を、時間の限り自由自在に走り回っていたいな、と思います。

…なんだか今回、「かも知れない」ばかりの文章になっちゃったな笑。

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