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『罪と罰』を読んだぞ

この間紹介した、4人の作家さんが読んでないのに読書会を繰り広げる、という大変無謀な斬新な取り組みをまとめた「『罪と罰』を読まない」(以下『読まない』)ですが、

この本の前編は作家さんたちによる「読まない」読書会、後編は全員が読んだ上での総括的な「読んだ」読書会でした。即ち、読者の選択肢は2つ。前編の後にさくっとまとめてある「あらすじ」を読んでから後編に進むか、作家さんたちのように『罪と罰』本編を読んでから後編に進むか。

ちょっと悩んだ末、私は後者を選択。一旦本を置き、ドストエフスキー(作家の皆様に倣い、以下、ドスト)の分厚い文庫2冊を手にし、また戻ってくることにしたのです。そしてついに、私も、読んだぞ…!

『罪と罰』- 著者:フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(Фёдор Миха́йлович Достое́вский)さん

かのドストエフスキー氏にも迷った末「さん」を付けてしまったチャレンジャーな私。


重厚かと思いきや

たぶん『罪と罰』未読勢の多くは、さぞかし重厚感のある古典的小説と認識していることと思います。私はそうでした。いつぞや小説を読んで映画も観たあの『レ・ミゼラブル』的な、真面目でちょっと重苦しい雰囲気のお話かな?と。

だがしかし。先に『読まない』を読んでいたおかげか、それとも実際そうだったのか分からないけど、だいぶ違った…!

私のぼんやりしたレミゼの記憶では、確か主人公ジャン・バルジャンは困窮してパンを盗んだだけで投獄され、どん底の生活で苦しみながらもコツコツと這い上がっていくメンタリティーの持ち主であり、いかんせん真面目で実直な人でした。

でも、『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフ(以下ラスコ)は、真逆。意図的に重罪を犯しており(もう、パンを盗むとか可愛すぎる…!)、この『罪』は、紛うことなき罪。
『罰』はてっきりその罪を後悔し内省していく物語かと思いきや、突然開き直ったりなんかして、案外そうでもない。ジャン・バルジャンとは全く相容れないキャラでした…笑。

作家の皆さんの読後感想トークはどれもこれも心の中で頷くことばかりでしたが、中でもいちばん思ったのは、三浦しをんさんの表現をお借りすれば「出てくる人がみんな頭おかしい。」でした。あ、やっぱり皆さんそう思ってたんだ。

特にラスコは登場人物の中でも飛び抜けて思考回路や行動が不審なのだけど、長旅で疲れているであろう母と妹のところにこんな時間指定するなんて非常識だ、的なまともな発言もたま〜にあったりと、ブレがあるところは妙な人間臭さを醸し出していました。

比較的まともなのは妹のドゥーニャかなあ。時代的にも立場的にも親や男性の言いなりかと思っていたら、意外とロックな女の子でした。

雑誌の連載小説だった!

文庫にして1100ページほどある長編なのに、実はほんの2-3週間あるかないかぐらいの時間枠だし、ちょっとどうかしちゃってる人たちがたくさん出てきて、次から次へと想定外の急展開が繰り広げられる、ぎゅっと詰まったジェットコースター小説でした。まあ落ち着きがない。

『読まない』前半にあった情報によると、この小説実は、作者のドストが賭博で一文無しになって(!)ロシアの雑誌に売り込んで始まった連載小説だったとのこと。だから急展開だったり、次の章の前にやたら煽るような表現があったりしたんですね。

賭博で一文無しになって国外逃亡とか、けっこうしょうもないぞ、ドスト。売れて良かったね。それもまた賭博で何度もすったそうだけど…。

人物の名前、過去最長

これも読んだ人皆が思うことだと察しますが、兎にも角にも名前が長い!!略称がある人物もそれなりにいるのに、なーぜーか、わざわざ長く書かれていることが多い。例えばこんな感じ。

ソーニャは(中略)自分がピョートル・ペトローヴィチに代わって創作し、それに美しい装飾をほどこし、せいいっぱい優雅な丁寧な表現を使って、ピョートル・ペトローヴィチのお詫びの言葉を彼女につたえた。彼女はさらにピョートル・ペトローヴィチが、(…)

新潮文庫版 下巻 P.229より

カテリーナ・イワーノヴナはにやりと笑いはしたが、即座にアマリヤ・イワーノヴナはますます憤慨して、(中略)とやり返した。笑い好きなカテリーナ・イワーノヴナはがまんしきれずに、腹をかかえて笑いころげた。そこでアマリヤ・イワーノヴナは最後の忍耐を危うく失いかけたが、(…)

新潮文庫版 下巻 P.235より

いやもうピョートルでええやん!カテリーナとアマリヤでいいじゃん!

元の名前が長いのは、文化の違いだからしょうがない。でも、愛称もあるし普通に良心的な短さなんです。例えば

ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ→ ロージャ
ソーフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ→ ソーニャ
アヴドーチャ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ→ ドゥーニャ or ドゥーネチカ
ドミートリイ・プロコーフィチ・ウラズミーヒン→ ラズミーヒン

ね?だいぶ楽になるでしょう?なのになのに。

「ねえ、ドミートリイ・プロコーフィチ……」と彼女はきりだした。「わたしはね、ドゥーネチカ、このドミートリイ・プロコーフィチとはすっかり打ち明けて話し合いますよ、いいわね?」「もちろんですとも、お母さん」とアヴドーチャ・ロマーノヴナははげますように言った。

新潮文庫版 上巻 P.453より

いやそっちかーい!!息子の友達なんだしラズミーヒンでいいじゃん!直前にドゥーネチカって言ってるしそれでいいじゃん!Why Russian People!?(←厚切りジェイソン風に)

登場人物の名前を全て略称にしたら、冗談抜きで上巻だけで完結できたんじゃないかと思います。

古典のハードル

というわけで、案外すっと読めてしまったこの超有名小説。これはこれで面白かった!やっぱり先入観って良くないですね。私もこの「意外といけるぞ」の経験を得られたのは、何気なく読んだ『読まない』のおかげでした。古典って別に、意気込まなくてもいけるのもあるんだな。

今後は、例えばジェーン・スーさんのエッセイでも読むような気持ちで古典にも手を伸ばせる、かも!?

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