ほのぼの生きる 178_20230719
夫の家族との出会い
予定どおり、今日はオーストラリア赴任時の話(空港編)を書き留めておこうと思う。
私と夫はオーストラリアで一緒に仕事をしたことをきっかけに結婚することとなった。
帰国後、2年間の遠距離恋愛を経て、遠く離れた地に嫁いだわけだが、その間に夫の家族は夫が騙されたのではないかと心配していたらしい。
「その女は本当に嫁っこさ、来てくれるんかいね。」
初めて、夫の家族に紹介してもらった時、義祖父母も義母も義弟も義弟嫁もみんなで顔を合わせて「あー!!あの人?」ってなったらしい。
私はすでに夫の家族に会っていた。
向こうが一方的に私を見ていたのだけれど・・・
韓国赴任時の飛行機での号泣事件については、昨日の記事に書いたとおりだが、私はオーストラリア赴任時も同じように号泣していた。
しかも成田空港で・・・
夫はおばあちゃん子、私はおじいちゃん子。
そんな大事な孫が2年間も遠く離れたオーストラリアに行ってしまうのに、見送りに来ないわけがない。
それぞれの家族が成田空港に集合し、それぞれのお別れを惜しんでいるところだった。
その距離、互いに見える距離だったらしい。
夫の方は「行ってらっしゃい」「気をつけてな」と淡々と別れの儀式が行われていた。おそらくばあちゃんは泣いていたと思うが、静かに、ひっそり涙を流す程度であったろう。
一方、私の方は、本人が号泣。嗚咽が止まることなく「行きたくない!怖い!」と泣き叫ぶ始末。当時もうすでに30歳。
その光景を夫の家族は冷ややかに眺めていたという。
その当時、祖父はすでに83歳。元気ではあったが、そこからの2年間はどうなるか分からない。帰国まで生きていてくれるだろうか。
そんなことを思ったら、永遠の別れのようにも思えて、葬式並みに泣いてしまった(祖父はそれから93歳まで10年も長生きしてくれた)。
というわけで、脇目もふらずに号泣する大人げない女性を目の当たりにした夫の家族は多少しらけてしまったわけだが、まさかその女性が、家族の一員になるなんて、その時には全く想像もしていなかっただろう。
そんなこととは知らずに、私は初めて夫の家族に会う時には、当たり前だけどちょっとだけ猫をかぶり、おしとやかに振る舞おうとした。
でもすぐにその空港の時の話をされたので、却って開き直り、はい!私はこういう感情豊かな人間でございやすと言わんばかりに、仮面をすぐにとっぱらい、素のままでいることができた。
これでまぁ良かったのだ。
それにしても、まさかあの空港の号泣事件から4年後に嫁ぐことになるなんて。
ものすごいご縁だったなぁ、と思う。
私はこの先、また外国に住んでみたいという気持ちが多少ある。
独身の頃、(60歳で退職したら)余生をトンガで過ごそうか(移住したい)と考えていた時がある。
今はちょっと違うが、それでもトンガとかタヒチとかイースター島とか南の島が大好きなので、移住しないにしても行ってみたいなとは思っている。
それよりアフリカも行ってみたい。2年ぐらい住めないだろうか?などとぼんやり考えたりもしている。
そうなったら、また成田空港で号泣することだろう。
そしてそれがどこかの誰かの目にとまり、新しいご縁が生まれるかもしれない。
おわり
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?