見出し画像

ほのぼの生きる  141_20230609

自分の夢を深堀する(その2)

一人で仕事をするということ

私はおよそ30年間組織人として仕事をしてきた。
どちらかというと「組織人」として働くことが得意である。
それでいてこの自由奔放な性格が災いしてか、いつも組織で浮いていたような気がする。
よって、今後自分が仕事をするにあたり、一人で事業を起こすのがいいのか組織で働くのがいいのか、自分でも十分に評価できていないところがある。

昨日、理念とビジョンについて想いを巡らしたのだが、他人と理念やビジョンを共有することの難しさを考えてみたいと思う。

今回、旅の前後も含め、自身で事業を立ち上げて運営されている方数名にお話を聞く機会を得た。
共通して聞いた話が「一人でやった方がいい」というお話だ。

実際、私は別の方から「仲間を作ってやっていった方がいい」という話も聞いていて、そっちの方が「楽」だなぁと思っていた。最初から業務を分担できるからだ。困った時に相談もできる。

ところが、「仲間を作った方がいい」と言った方は私の知りうる限り、組織に属している人たちだった。
そして、今回「一人でやった方がいい」と言った方は最初に仲間を募って事業を開始し、途中で理念やビジョンが異なることに気がつき、方向性の違いから分裂してしまった人たちだった。

さらに面白いことには、事業で一定の成功を収めてきた方々は、最初に仲間と一緒に組んで仕事をしていて、インフラがしっかりしているということだった。
とてつもない時間と労力を割き、何年もかけて立ち上げてきた事業は到底一人では成し遂げられないような規模のもの。
私はやはりそこには「助け合う仲間」が存在し、労力が分担され、精神的にも支えがあったのではないかと思う。
問題は、その事業が軌道に乗ったときだ。

苦労をともにした仲間にも時間とともに自分なりのスタンスができてくるはず。
ここまで来たのは「自分のおかげ」という自負も多少なりともあるだろう。
ふと周囲を見れば、昨日まで同じ方向を向いていたはずの仲間が別のことを考えている。大事にしていたコアな考えが次第にずれてきていることを悟る。

「人を幸せにしたい」という理念のもと立ちあげた事業は、自分を犠牲にしてでもやり遂げたいという気持ちと自分を犠牲にしてまではやれないという両極端の運営方針で対峙してしまうようだ。

ところが、この「自分を犠牲にしてでも」という考え方は、一人でやる仕事の場合は起こりえないのではないか?という風に思えてきた。

一人で自由にやれる分、自己責任によるもの、匙加減が可能になるからだ。
「好きでやっている」という気持ちが強ければ「自己犠牲」などという発想にはならない。
ただし、誰かとパートナーを組むことで、少しでも「その人に合わせている」「自分の考えに自由がなくなってきた」と思ったら、それは「自己犠牲」となってしまうものになるのではないか。

私はどっちが得意なんだろう?
全部一人でやりたいのか、誰かと協力してやりたいのか。
一人でやろうとすると当然規模は小さくなるし、全てのことを自分でやらなければならないため、力が分散してしまう。
一人という最小の力で努力して、自分が夢見ているゴールに到達できるだろうか。
非常に悩ましい。

前回、面接を受けてダメだった原因もオーナーが求めているものと私が大事にしようとしている部分がずれたからだと思っている。
あのままその組織に入っていれば、オーナーがきっと苦しんだはず。
この人、自分の思うとおりに動いてくれないなぁ、と。
雇われる方はある程度合わせることはできる。でも完璧にオーナーの意に沿った働き方ができたかどうかは分からない。
急なお願い、残業、日に日に労働条件に不満が出てきて、ブラックだという評価を下したかもしれない。それは自分が経営者ではなく雇用される側だからなのかもしれない。

さて、私はどうしたいのだろう。
組織に属するのか、自分で事業を起こすのか。

自分の理想を追い求めるのであれば、組織に属するというよりは、自分で事業を起こすしかないな。
でも事業に起こすにしたって、長年組織人としてしか働いたこともない者に何ができるだろう。
ノウハウを持ち得ていない。
共に闘う相手がいてくれないと難しいね、これは。

物件探しに1年?
内装も自分でやる?
ほとんどのもの、手作り?
ひぇ~~~
好きでないとできないね、これは。

ただただ個人で頑張っておられる事業主さんに敬意を表します。
今回、いかに自分が怠惰な人間かを思い知らされました。
皆さんの事業が上手くいきますように。

まだまだ分析は続く・・・


この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?