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明日の種をまく 124_20240119

時代の捉え方

私は最近50歳の誕生日を迎えた。
「人生100年時代」という言葉が叫ばれてから、常に50歳は人生の半分なのだということを意識して、何年か前から自分の人生を変えようと本を読み、Youtube動画を観て、自分なりに今後の人生について考えてみたりもした。

40代後半で私が「これからの人生」を語った時、周りの同年代の人たちはふーんと言って、あまり興味もなさそうにただただ私に相槌を打つだけだった。たいして熱心に話も聞いてくれようとはしなかったし、きっと私が語ったことなど覚えてもいないことだろう。

そんな私は「この人たちは大丈夫なのか、時代の流れについていけるのか」と上から目線で心配をしたものだ。

そして私はnoteという自己表現の場を得た。
「青年の主張」のごとく「ばばあの主張」を惜しげもなく徒然と書き連ねてみた。

実際、自分の気持ちを言葉にしてみると思い知る「捨てきれない時代観」。
時々は「昭和観」を正義のように振りかざす時もある。

改めて分かる自分という実体。

私は「新しい時代」を知ろうと努力し、なんとなく知った風になっている気がしていたが、実態としては何も受け入れておらず、何も得ていないのだ。

何も知りません、興味もありません、という50歳は世の中にたくさんいることだろう。
そこを基準にしてはいけないと思うのだ。
そこに優越感を覚え、何も得ていないこの空虚な状態に安住していては何の進歩も発展もない。

「知っていることと実際に行動することは違うのだ」

ちゃんと動け。ちゃんと受け止めろ。ちゃんと身に付けろ。

私が60歳になったとき、これからくる10年を今のまま過ごしたら、何も考えて何もしようとしていなかった人たちと同じ結果を迎えるのではなかろうかと心配になる。

日々の種まきは有効か。
ちゃんと芽は育っているか。
花のつかない種まきだけをしていないか。

情報を積極的に取りに行け。
情報を自分のこととしてちゃんと身に付けろ。
年齢に負けるな。
怠惰な心に負けるな。
自分に負けるな。

AIを怖がるな。
もっと情報社会に敏感になれ。
ちゃんと情報機器を有効活用しろ(苦手とか言ってる場合じゃねぇっ!)

何も得ていない自分が嫌になる瞬間。
頑張れ、うぉんのすけ。
人生の後半戦は今始まったばかりだぞ。

<1年前の”ほのぼの日記”> 
おー昨年は人生初のハローワークデビュー🎵
あれから1年かぁ。
まぁ頑張ってんじゃないかな、私。


タイトル画像は、仲良くさせていただいているnoterさん温水温(ぬくみず ゆたか)さんの作品です。


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